韓国ドラマに見る日本文化の忘れもの

冬のソナタの次は天国の階段
 韓流ドラマはフジテレビ系列では地上波で吹き替え版を放送しているが、僕は「天国の階段」をフジテレビ721で字幕スーパーで見ている。だから、現在(2/7)まだ4話までしか見ていない。もちろんチェ・ジュウを見たいのだ。「冬のソナタ」だけで韓国ドラマを語るのもなんだかなぁと思いながらフジテレビ系列の地上波で「天国の階段」を見たのだが先に書いたように覇気の無い吹き替え日本語にうんざり。1/31からフジテレビ721で字幕スーパー版が始まるとのことだったので、やはり韓国ドラマは原語でと、こちらに切り替えて見ている。
 天国の階段は地上波では15話くらいまで話は進んでいるのだろうが、ネタバレになるのでインタネもフジ地上波も一切見ていない。だから4話まで見た感想になる。もちろんインタネでストーリーを検索することもしていない。地上波で見ている人には歯がゆいだろうが、じっくり見たいので的外れな4話までの感想になる。
 チェ・ジュウの身長が174cmであることを考えると、共演している韓国の俳優の身長の高さが気になる。日本では174cmの女優はドラマで共演する男優が居なくて苦労するのに、韓流ドラマでは身長による共演相手不足は無い。クォン・サンウもペ・ヨンジュも180cm近いのだろうか。
 チェ・ジュウより身長の低い僕としては(笑い)、「韓国ドラマ恐るべし」と思ってしまう。だいたい自分より身長の高い女優のフアンになったのは初めてなのだ。

韓流ドラマの定番と言うが
 韓流ドラマの定番は「いじめ、記憶喪失、不治の病、すれ違い、幼なじみ」と儒教の国らしく「義理の兄妹の愛」だそうだ。日本のドラマの定番はこれが個別のドラマで扱われてる。「いじめ」は家なき子、「記憶喪失」は赤いシリーズ、「不治の病」は愛と死を見つめて、「すれ違い」は君の名は、「幼なじみ」はふたりっ子、「義理の兄妹の愛」は空から降る1億の星でそれぞれ描かれてる。
韓国ドラマはこれのテンコ盛りなのだ。天国の階段はまるで冬のソナタの男女入れ替え版のような設定だ。もちろん「冬のソナタのパクリだぁ」などと叫ぶつもりは無い。
ドラマとして設定はダブルが基本的に定番を意識はしてるが、新しいシチュエーションで展開している。決してパクリでは無い。ただ、韓国ドラマの定番なだけだ。
 1話、2話は子役の演技が中心だが、将来のチョンソ(チェ・ジュウ)の役をやっている子役は「ふたりっこ」の茉奈・佳奈のイメージだ。イジメに耐えられない弱いお嬢様役なのだが、ここが視聴者の同情を買う。日本的な発想では「だったら家を出れば良い」と思うのだが、これが儒教の国である韓国ならではの家族観で家族は別れてはいけないってことなのだろうか。韓国ドラマの定番と言えばそれまでだが。
 ネタバレは見ないと言ったけれど、インタネで検索すると子役の俳優である義理の兄のテファを演じているのはあの「ユリ睨み」のキム・テヒの実の弟とか。あの風貌は次期韓流ドラマ四天王の一角に食い込めるかもしれない。
 4話の記憶を失ったチェ・ジュウの演技は明るくて楽しい。NG集とか見ても感じるのだけれど「涙の女王」とか呼ばれているチェ・ジュウだが、基本的に明るいバラエティ的な才能を持っていると思う。「涙の女王」とバラエティは両立が難しいのだが、天国の階段の第4話でのチェ・ジュウの演技は好感が持てる。のびのびした地のチェ・ジュウには冬のソナタとは違ったフアン層を引き出すのではと思う。
 チェ・ジュウのフアンは女性が多いって情報もインタネに多く書かれてる。女性のファンはチェ・ジュウに何を託しているのか。結局「冬のソナタ」では見えなかった(僕は見えてたのだが)「前向き、ハキハキ、根あか」が生きる姿勢の根源なんだって感覚に女性が最初に気が付いたのだろう。これが韓流ドラマを支えてるのだろう、「渡る世間は鬼ばかり」と一味違うのは、そこに希望が見える点だ。日本のドラマでは徹底的に叩いて暗くする、自分より下の境遇を見せて視聴者の満足感を満たす。そこが文化の違いとして感じる。
 チェ・ジュウは儒教の国である韓国で自律する(僕は自立をより高度な自律と使う)女性を演じているのだが、これが日本の女性にも、特に30代女性に受け入れられてるのだろう。青木さやかや旧杉田かおるのファン層とは一線を会しているのだろう。

隣の国、韓国との付き合いかた
 別に特別な話では無い。多くの韓国ドラマが日本と韓国の文化交流に貢献した役割は大きい。我々は世代間のワダカマリで日本と韓国の交流にはナーバスだ。でも、文化交流ってのはワダカマリの解消が出来なくてはいけない。我々は韓国に先入観が無いか? 先入観で言わせてもらえば韓国に観光で訪れた時に感じた反日感情は我々の世代のもので、現在の日韓関係は新しい歴史を作りつつあると思う。まったく、観光ガイドが日本の過去の行状なんて話をするのは観光立国でも何でも無い。初日にパスポートを預かって、写真班の撮影した写真を半強制的に売りつける韓国観光業者の行為は韓国ドラマでの日韓交流とは180度違う、どちらかと言うと「喧嘩売ってる」行為なのだが、ま、この種の特異体質は韓国に限らず何処でもある話だ。
 前に太平洋戦争後のアメリカの日本統治に文化侵略(ま、侵略は言い過ぎでアメリカンナイズ政策あたりが妥当なのだが)が使われたと書いたが、日韓の間では文化鎖国が太平洋戦争後も行われ続けた。前例世襲で50年も続いていたのだが、これが昨今の韓国ドラマのブームで崩壊しつつある。日本側だけでは無く韓国側でも文化鎖国が雪解けを迎えてる。
 この事象の最たるものが「冬のソナタ、盗作問題」だろう。
ドラマで使われている曲の多くが日本の曲の盗作だって指摘だ。実際に聞いてみると良く解る。例えば冬のソナタのメインテーマ曲は「愛はかげろう」とほとんど同じだ。サブテーマ曲は尾崎豊のアイラブユーと基本は同じと言って良い。実は日本文化を拒絶した故に韓国ではパクリが横行した事実がある。ま、パクリでは格好悪いのでリメイクとか呼んでいるが。
 文化交流が禁止に近い韓国で日本の楽曲がリメイクされる事情も分からないでも無い。そもそも国際的な著作権保護なんて思想は文化交流の面からはアメリカの制度の押し付けであり、庶民は良いものは良いって感覚で、アメリカ的な著作権利の存在と行使はどんなに頑張って主張しても、文化の交流には阻害要因でしか無い。
日本の楽曲の良いところは真似させてもらう。それが「冬のソナタ盗作疑惑」を叫ぶ人々に解らない文化の伝達と人類の英知の問題だろう。
そのような人にはシルクロードも「盗作の流れ道」としか見えないのではないか。そもそも陶器を創る文化、火薬を利用する文化、羅針盤(方位磁石)を利用する文化は中国からシルクロードを経て「パクラレタ」事実を文化交流として認めるか著作権侵害と認識するかの違いだろう。
 隣国である韓国と権利条項で争う気運も解るが、隣国故に許される文化交流の一環って発想も必要なのではと思う。歴史的に遣唐使はパクリの文化交流であったことを我々は認める必要があるだろう。

アメリカばかり見ていた日本
 チェ・ジュウの陽気な演技を見ていると、本当は「涙の女王」の冠よりも庶民的な俳優なのだと思う。前にも書いたが東ちづるに近いなぁって感覚は天国の階段の4話あたりで感じる。職場に一人くらいこんな子が居てくれたらなんて思う男性も多いのではと思う。僕もその一人だが。
 日本の文化を考えると、太平洋戦争後何も自主的なことが無く、自国の文化は流れ任せで結局アメリカ文化至上主義で過ごしてきたのではないだろうか。別にその是非を問うものでは無い。ただ、日本は拒絶されるが故にアジアに目を向けていない戦後があったのではないか。面倒なことは金で解決し、経済的にアメリカ追従で国際的な地位を得る。この方針がアジアの国々(ま、中国を暗に指しているのだが)に付け入るスキを作ってしまった。本当は外交は対当でなければならないのだが。
妙に卑下してアジア諸国に対応するのでは自国の文化は確立できない。また、スキを突いてくるしたたかな国も存在する(ま、中国を暗に指しているのだが)。その中で文化交流として韓流ブームが起きているのは一つの日本の文化転換の機会だろう。
日本の歴史教育はメチャクチャだけれど、文化の時代を安土桃山とか代表される事象でくくっている。後世、「韓流文化時代」と歴史の教科書に載るような時代が今、開きつつあるのではとチェ・ジュウの笑顔を見ながら感じている(単なる、チェ・ジュウおたくだって! の声あり)

button 冬のソナタ>主演チェ・ジュウ、字幕ノーカットで再確認
button ドラマ>BS2で冬のソナタのノーカット版放映

Back
2005.02.08 Mint