天国の階段は冬ソナと違ったチェ・ジュウの魅力

第一話で結果は解った
 前回、天国の階段の感想を書いたつもりなのだが、タイトルが「冬のソナタ」になってしまった。前にも書いたように、地上波では無くJCOMのフジテレビ721で天国の階段を見ている。今日で6話まで終わった。インタネで散見される余計なお世話の事前ネタバレは一切見ていない。見たいとも思うのだけれど、ドラマの布石を見ながらストーリ展開を予測する楽しみも捨て難い。またフジテレビの地上波の方は時々見てる。ただし、オリジナルと比べると編集が入りすぎて、まるで別なドラマを見ているように違う。何度も書くが、吹き替えの声優の臨場感も無く、原語で字幕スーパーで見るのとは別な感覚なので、これは再度原語で見るときに感じがかわってしまう別なドラマとして見てる。
 布石と複雑な人間関係(これを最初の1,2話に凝縮する)、これが韓国ドラマを楽しむ一つの手法なのだろう。放送しながら視聴者の感想を元にシナリオを変更する。最終回のシナリオは直前まで出来ていない。そんな韓国のドラマの実態を楽しみながら視聴する。それが「韓流な見かた」なのだ。
 事実、今回の天国の階段6話でも2話で出ていたカセット・テープへの吹き込みがカーステレオから流れるシーンがあった。布石をうって再度見せる、これも典型的韓国ドラマの手法なのだ。だから、天国の階段の1話の最初に海岸でソンジュ(クォン・サンウ)がピアノを弾いて「チョンソ(チェ・ジュウ)聞こえたか!」と叫ぶシーンが出てくるのは、ドラマは最終回のシナリオは決まっている展開なのだと暗示されている。チョンソ(チェ・ジュウ)は亡くなるのだ。ただ、その亡くなるまでのストーリーが天国の階段の見せ所なのだと結論を縛って展開していく韓流には珍しい展開が天国の階段の基本にあるのだろう。
 現在6話まで視聴なのだが、チェ・ジュウの「涙の女王」のシーンはまだ出てこない。たぶん、これからの展開で出てくるのだろうが、今のチェ・ジュウはスッピンのチェ・ジュウって感じで楽しめる。実は「冬のソナタの秘密日記」なんかをamazonで購入していわゆるNG集を見ている。チェ・ジュウの明るさがなんとも頼もしいのだ。

まともはハン・テファ(シン・ヒョンジュン)だけ
 天国の階段で良い演技してるなぁと見ているのがハン・テファの役どころ。一話からの連続の中で人間としてまっとうなのはテファだけだろう。出演している人々のそれぞれが何か人間としておかしい。日常で存在し得ない程の異常な人々なのだ。チョンソの父親なんか何を考えているか分からない「昼行灯」で、こんな奴が女優と再婚する事自体、ストーリーに無理が無いかと疑る。天国の階段にシン・ヒョンジュンを出演させたのは異常な個々の人間の感覚を正常な感覚と対比する効果がある。テファだけが人間としてまともな考え方をしている。記憶喪失のチョンソ(チェ・ジュウ)を自分だけのものにして社会から隠そうとする行為すら、鬱積したテファの幼年時代の心の傷なのだろうと理解できる。
 僕はテファの気持ちが解るので、それぞれの場面で結構泣いている。本当はチェ・ジュウで泣きたいのだけれど、6話まで見た所、テファで泣いている。父親の持ってきた運動靴で一悶着あって、屋根裏部屋に閉じ込められてチョンソに食事を運んでもらい「誕生日おめでとう」と言われて泣きじゃくるシーンは心が痛んだ。家族から誕生日を祝ってもらえないってのは生まれてきたことを否定されるように傷付く。そんなテファの誕生日を知っていたのは飲んだくれでバクチ好きの父親とチョンソ(チェ・ジュウの子役)、たぶん「誕生日おめでとう」と言われた経験が無いテファには初めての感動だったのだろう。このシーン6話までの天国の階段の中ではすごく印象に残った。インタネ情報ではテファの子役の子は「ユリ睨み」のキム・テヒの弟だとか。これからの活躍が期待される。
ま、そんな場面に自分が陥ったらと思うと、テファのように出来るかどうか。自分を、30年も前の状況に置いて今更思い出しても何も言うことはないが。打算が無く純粋なのはテファだけだ。その純粋さが世渡り下手にも通じるし、人間として純粋なことが必ずしも幸福を得られる訳では無いって現代社会の矛盾も見えている。
 正論は生き続ける、それが本来の人間社会のルールだ。それが、歪められて社会の支配制度の中で支配される側、支配する側の二面性と矛盾を天国の階段は描いている。しかし、テファは支配される側だが、決して自分が支配される側であることを認めていない。

冬のソナタ秘密日記
 あ、冬のソナタに戻ってしまった(笑い)。
付録か本編か別にしてNG集的なDVDを見るとチェ・ジュウの素顔が見える。前にも書いたがチェ・ジュウが冬のソナタで演じた涙の女王は本当のキャラでは無いのだろう。役者だから役を演じるのは当然として、素のチェ・ジュウはコメディ向きなキャラのように感じる。
 冬のソナタ秘密日記にもあるのだが、18話まで進んでもエンディングが決まっていない。韓流ドラマではストーリーは視聴者の投書で変更されるのが常だが、冬のソナタは18話時点でエンディングが決まってなかったらしい。韓流ドラマでは1週間に2話放映するので1週間前にもエンディングが決まってなかったらしい。
 実は冬のソナタ秘密日記で「第二の交通事故」について監督は記憶喪失から戻るのに同じ交通事故は無いだろうって作者に注文を付けたが結局、交通事故での記憶喪失は交通事故で取り戻すって、なんともやれやれなストーリになったようだ。
 実は記憶喪失もので最も僕の印象に残っているのが「銀座の恋の物語」だ。銀座の恋の物語と言えば、いわゆる「銀恋」でカラオケの曲と思っている人が大半だと思うが、実は映画の題名なのだ。あの映画は当時の日活の裕次郎シリーズでも抜きんでて出来が良いと僕は思っている。タフガイの裕次郎を描いてないと不評だったらしいが。
 最初にオンボロな部屋でおもちゃのピアノが出てくる。このピアノでポロンポロンと曲を弾くと一つのキーが壊れていて音がずれる。これが布石で、記憶喪失に陥った、たしか浅丘ルリ子がラスト近くに人指し指一本で銀座の恋の物語をポロンポロンと弾く。たしか「銀座で一つ」のあたりで音がずれて、ここで全ての記憶を取り戻すってシーンがある。
 冬のソナタでも「あれ、僕ピアノ弾けないのに」と言いながら「はじめから」をペ・ヨンジュが弾くシーンがある。楽器が記憶喪失回復の布石になる銀座の恋の物語を参考にして、なにも交通事故の記憶喪失は交通事故で戻るは無かったのではと思う。

不条理との戦いは水戸黄門と同じ文化
 韓流の常套手段であるイジメ、異母兄弟愛、不治の病はお決まりなのだろうが、ここに庶民派と言うか「おしん」の文化でもある。これを社会の不条理との戦いと大袈裟に言えば良いのか。社会は常に不条理を含んで流れている。人間が社会的生物であるが故に避けて通ることは出来ない「社会の不条理」だが、改善されたり強化されたり、人間社会ってのは右に揺れたり左に揺れたりを歴史的に繰り返す。
 天国の階段がこの不条理の無い世界を目指したものなのは解る。がしかし、その不条理こそが人間社会そのものなのだろう。それと戦って天国の階段を登っていくのは現世否定でしか無い。一部のキリスト教の宗派にそれはあるが僕は認めない。人間は悩むことで人類社会はどうあるべきかの結論に僅かではあっても近づくのだから。
 天国の階段は純粋に愛を描いてもらいたい。たぶん亡くなるチョンソ(チェ・ジュウ)が生きている人々に何を残したのかが大切なテーマだろう。義理の母親や義理の妹のキム・テヒへの復讐劇では底が浅すぎる。それでは橋田寿賀子の世界をおされいしているだけだ。6話までしか見てないので地上波の人には笑われてしまうかもしれないが、テーマが復讐劇にならないことを期待する。
 社会の不条理に関しては「おしん」と言うかヤオハンのような個人的スタンドプレーとは別な場面で問題提起され皆で解決策を考えていくテーマなのだ。それは天国の階段だけで結論が出るものでは無い。共通のテーマであることを認識することがドラマに接する姿勢であって欲しいってのが僕の感覚だ。
 視聴率万能主義の民間放送が文化の担い手を担うには既に時代は過ぎてしまったのだろう。人の心の解らない視聴率至上主義の民間放送は韓流でも同じ動きをしている。
それって、消えゆく恐竜と同じなのだ。韓流ブームは現在の民放の根幹に関わる。文化の担い手に免許を与えるのが建前の総務省の放送免許許認可の理論武装だが、韓流文化の黒船が来たのに民放は視聴率至上主義のまま飛びついて、地上波で吹き替え版、一部限定で字幕スーパー。どちらが文化の担い手になっているか明白だろう。字幕スーパーで原語のまま流すのが文化の伝達、吹き替えはコマーシャルベースなのだから。
 全20話をコマーシャルが入れや易いようにズタズタに切って22話に仕上げ、それぞれのラストシーンをある時は次回に回し、次回作では途中にラストシーンが入る。そんな編集を行ってまで放送するのは韓流を皮相的なブームと捕らえ、視聴率が稼げるうちに放送してまぇって姿勢以外の何者でも無い。視聴率が稼げれば内容なんかどうでも良いってのが昨今のNHK、民放を問わない韓流氾濫の背景だとしたら、なんとも日本の文化とは貧しいものなのか。
 放送免許は国民の代理としての総務省の許認可なのだから、物を売るためのテレビから、文化を伝えるテレビに方向転換する必要があるだろう。それが、インタネに代表されるように様々なメディアに人々が分散し、テレビ離れが始まっている遠因だと民放各社は気づくべきだ。ライブドアの堀江モンも何を考えて旧態依然の放送分野に参入するのか分からない。
 日本文化だけが水戸黄門的な旧態依然のまま取り残されてるのかもしれない。天国の階段は階段を上ってしまったチョンソ(チェ・ジュウ)と残された人々の社会の不条理を描いたドラマと僕は先入観を持っているのだが。

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2005.02.14 Mint