天国の階段はチェ・ジュウの魅力満載

「天国の階段」は怪物的なドラマ
 とまぁ、フジテレビ721の放送は地上波と同期を取ったのか4月の第一週で最終回を迎えた。あれから3ヶ月になるが、ま、一度マトメを書いておこうと思いながら、天国の階段が描く世界がアジア人の吟線をくすぐる巧みな出来だったので考察を加える余裕がなかなか無かった。
 韓流ブームの火付け役の冬のソナタだが、これはペ・ヨンジュのバタ臭い演技がアジアに海外の匂いを撒き散らす効果が韓国ではあったのだろう。日本では先に書いたようにビデオ視聴って新しいジャンルの可能性を示唆した冬のソナタブームであった。実は僕も韓流の入り口は「冬のソナタ」であった。そこに古い日本の(と言っても、1980年代の日本だが)ドラマや社会を見る思いがした。
 韓流ドラマの「お約束」は冬のソナタでも天国の階段でも採用されてるが、天国の階段は人の死を正面から扱っている。最初のシーンで「常に僕たちは一緒に居た」って部分は母親の死を含めて描いている。ソンジュがチョンソの母親の死を受け留めるのは最初のシーンで既に描かれている。同じく最初のシーンでピアノを海岸で弾くソンジュが「チョンソ、聞こえるかぁ」と叫んだシーンでチェ・ジュウは死ぬことになるのだと解る。
 「運命」って考え方がアジア人は好きだ。科学で自然を組み伏せるって考え方をあまりしない。東宝の映画の海峡でも青函トンネルを掘る姿勢を「自然に逆らわず掘り進む」と描いている。
 その運命が決まった所からドラマが始まるにも関わらず視聴者を引き付けるシナリオ作成に自信があったのだろうなぁと最終回まで見て思ってしまう。現実には視聴者の反応を聞きながらシナリオを書いていったのだが、最後の日本での20話以降は正直言って「作者側の勝ちだなぁ」と唸らせた。

チェ・ジュウのエキセントリックな演技
 前にも書いたけれど僕は「チェ・ジュウ」と書く。マスコミでは「チェ・ジウ」が多いようだが「チェ・ジゥ」もある。そもそも外国人の名前を原音で表記するのは難しく、日本的な発音で「チェ・ジュウ」と書いている。韓国の発音の慣習から言えば共演したソンジュ役のグオン・サンウも韓国での発音では最初の音を濁点にしないのでクオン・サンウだが、日本のマスコミはグオン・サンウを使っている。
 冬のソナタで字幕スーパーで見た人は解ると思うが、ペ・ヨンジュの演じるカン・ジュンサンも名前で呼ぶときにはジュンサンでは無くてチュンサンになる。最初の音を濁音で発音しないからだ。その意味でチェ・ジュウを名前で呼ぶときにはジュウではなくてチウになる。ま、話が逸れたが。
 一番息を呑んだのがテファと住んでいたアパートに戻ってきたチェ・ジュウに「帰れ」と叫ぶシーン。帰る場所なんか無いと叫ぶチェ・ジュウ。韓国語で帰れは「カーァ」と発音するが喉が潰れるのではと思うほど力いっぱい叫ぶ。正直、喉が潰れては役者続けられないのに力いっぱい叫ぶのに驚いた。あそこまで思い入れする日本の役者は居ないだろう。
 あのアパートの前の歩道橋のシーンで「足裏マッサージ」の看板、日本語ですよね。電話番号も画面から読める。誰か行ったシト居ますか? あれって、日本文化との融合が進んでいる韓流の背景を意識したものなんだろうか。

チェ・ジュウはオールランドな役者
 日常有り得ないことをドラマで表現するのか、有りそうなことを表現するのか、はたまた有りそうな一歩手前を表現するか、ドラマ作りの難しい所だ。日本のトレンディドラマが描く世界は有りそうで実は無い舞台。東京で高卒で事務職で家賃15万円のメゾネット・タイプのマンションに住むのは考えられない。頻繁と海外旅行するのも考えられない。
 赤い疑惑シリーズ(なんか、韓流に乗じてリメイクされるらしいが)に代表されるドラマは視聴者の日常とは住みわけしてるが、時代を背景にありそうな世界。このバランス感覚がドラマの基本だろう。その意味で「空から降る一億の星」は難解なドラマであったし、「Good Luck」は背景が航空会社である必要の無いドラマだった。「エンジン」にしても日本でレースで食ってる層から見れば絵空事である。日本のドラマの力の無さは劇画マンガの読みすぎとしか思えないほど低落している。
 南大門の市場で働くチェ・ジュウ。家に戻って婚約式に白のドレスで参列するチェ・ジュウ。海の家で暮らすチェ・ジュウ。どれも冬のソナタとは違った、しかも同じ天国の階段での時々の立場の違いを背景に演じた演技に感動する。
感情移入こそしなかったがテファが角膜を贈ろうと車で自殺するあたりは、ストーリとして解るが表現として無理があったと思う。そこは「有り得ない表現」で非日常を描く手法で天国の階段全体の流れの中でラストに向けてのインパクト演出なのだろう。この種の矛盾は冬のソナタでもチュンサンが再度の交通事故で記憶を戻すって無理な設定にあらわれている。
 記憶喪失で立場も変わり生きる姿勢も変わる中でチェ・ジュウはそれぞれのチョンソを巧く演じていると思う。最後の海岸での死も第1作のファースト・シーンへとフラッシュバックになっている。なんかチェ・ジュウ(チョンソ)が我々の手から離れていくような寂しさ、ま、これが韓流ドラマではラストシーンで死ねばスターの階段を上るってことに結びつくのだが。
 にしても日本では冬のソナタのフアン層のオバチャマにチェ・ジュウ人気がいまひとつなのが気になる。

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2005.06.15 Mint