秋の童話、強く生きなければ幸せに出来ない

秋の童話も赤いシリーズに近い
 秋の童話をこれから視聴する人も居ると思うのでネタバレ的なストーリは書かない。ただ、最終回に向けてのシナリオがなんとも描写不足なのと、同じ監督の作品である「冬のソナタ」と比べると人物描写が弱く、視聴者としては自らをドラマの中に浸らせる効果はあるが、作品としてドラマを見ると出来はイマイチってのが感想だ。
ユン・ソクホ監督の描きたかったテーマ性がなかなか伝わらない。それは役者の力不足もあるのかもしれないが、天国の階段に見るような迫力が感じられないってことも含めて、僕の韓流ドラマの順位は、
1)冬のソナタ
2)天国の階段
3)秋の童話
となって、大きな逆転はなかった。
 産院での子供取り違えって場面から始まり、中学校の頃にそれが発覚し、本当の親の元に戻る(交換される)ってあたりが子役の演じる秋の童話の1、2話の山だ。正直、ここでユン・ウンソの優しさに感情移入するって出だしのツカミだろう。が、実際、このドラマを良く言わない周辺に聞くと、このあたりでドラマが薄っぺらく感じるそうだ。設定に現実感が無いってことだろうか。
 僕はユン家と別れるウンソの場面は相当感動した。今までの2つのドラマでも家族は登場し、描かれてきたが、この秋の童話では家族、特に親子の絆がメインテーマになる予感を感じたから。
 やがて、お決まりのアメリカへ立って数年後韓国に戻り、別れた(手放した)ウンソと兄と信じていたジュンソの出会いへと展開していく。

秋の童話はジュンソの関わりが重いはず
 実は名札を取り違えた原因は兄のジュンソの幼少の時の行動に端を発するのだが、この事実を本人は知っているのかどうかハッキリとは描かれてない。この原罪みたいなものをシッカリと受け留め、自らの責任と人生の中で引きずっての、あのラストシーンに行けば、ラストシーンも意味有るのだが、このあたりどっちつかずの扱いでラストシーンに違和感が生じる大きな理由となっている。(かなりネタバレなのかな?)
 ユンソ役のソン・ヘギョだが、演技派なのかもしれないが僕は基本的に巨乳と清純は相いれない関係と考える人間なので、感情移入が出来なかった。ま、イエローキャブの小池えり子も最近チャラを変えた感じがするが、所詮、巨乳と清純は両立しないのだ(独善)。
 替わって、ハン・テクソ役のウォンビンには好感が持てる。冬のソナタのペ・ヨンジュンと同じく(かなり若いが)アジア系に必要なバタ臭い雰囲気を持った役者でこのドラマでも重要な役割を果たしている。
とまあ、主要な役者の中で兄役のソン・スンホンについては、なんだかなぁ。韓国国内ではウォンビンより人気があるどそうだが、どうも一本調子の真面目だけが取り柄の日本で言えば中井貴一タイプの役者に見える。弱い人間が人を愛してはいけないって反面教師みたいな役どころで、正直言って秋の童話のドラマの様々な問題の本質はこいつにあるのだけれど、そこまで自己責任を感じると言うよりも、かなりな自己チュウって感じの役回りになっている。正直言って主役を演じきれてないのだ。

秋の童話は双方の母親の演技
 その前に(笑い)他の主要出演者についてもコメントしておこう。取り違えられたシネ役のハン・チョヨンは韓流の定石としてイジメ役なのだが、全面に出てくることは無い。もっと積極的にイジメ(笑い)するかと思ったが幼少時代でイジメは終了。どちらかと言えばハン・テクソ(ウォンビョン)のアメリカでの恋人って位置づけで再登場って程度だ。
 シン・ユミ役のハン・ナナについては、ま、こんな女に惚れられた男は不幸だなぁって感じ。これがジュンソを不幸に引き込む元凶なのだが、これまた本人は自己チュウで気が付かない。日本の女優の山本陽子の若いときに似ている。
 で、どドラマ全体は冬のソナタでユジン役のチェ・ジュウの母親役だったキム・ヘスクの演技で保たれている。子供を思う母親、子供を不憫だと思う母親、経済的に何も支援できないが、せめて自分を殺して子供を生かしたいって無い知恵を絞る苦悩。このあたりは冬のソナタよりも数段重要な役回りを演じている。
で、こんな母親の下であんな兄貴は育たないよなぁと思わせるのがゴン・中山に似た長男(笑い)。
 結局、涙するシーンは母親の独り言の場面が多く、誰も気が付かなかったと思うけど後半で店を訪ねてきたシネに缶のコカコーラを勧めて「これが買えなくて、お前が盗んだって頃があったよねぇ」ってセリフ。今苦悩する世代と今までを苦悩してきた世代のすれ違いって場面で、実は僕は泣けて涙で良く見えなかったシーンだった。
 そもそも、2話の最後のほうで幼少のウンソをユン家に返えしておけば、このドラマは全然別な展開になった訳で、重要なシーンであったあの場面でウンソが実の母親を選んだ理由は、その人生で(と、言っても短いが)培われた愛情の深さだったのだろう。ウンソだけが優しい子であっても、あのシーンは成り立たないと思う。結局、経済的にユン家には太刀打ちできなかったが愛情では勝っていたって自負が最後までキム・ヘスクの演技にはあって、実は僕はこの場面でひたすら涙を流しながら秋の童話を見ていた。

強くなければ人を幸せに出来ない
 「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きる価値が無い」ってのは名言だが、昨今、優しさばかり強調されて強さは何処かに行ってしまったようだ。
秋の童話の男性役者を見ていて解るのだが、優しさだけでは他人を幸せに出来ない、財力だけでも人を幸せに出来ない。結局、強くなければ他人を幸せに出来ないのだってテーマが感じられる。これは監督の意図に無いのかもしれないが、弱い人間は回りを不幸にするってことだ。だからドラマになるって逆説的な意味もあるが。
 ま、僕も年寄りの部類に分類される歳になったが、たしかに人類の有史から続く「今の若いものは」って感覚を言葉にする機会が増えた。優しさは強さの裏返しって解っている世代は過去の者になったのだろうか。秋の童話を見て感じるのはまさに強さが無ければ生きていけないって今の若者が感じている優しさ願望へのアンチテーゼだ。恋人を幸せにしたければ強くなれ! それの反面教師が秋の童話ってドラマだろう。
 結局、自分の幸せしか考えない人間と自分を犠牲にしても愛するものの幸せを願う人間の双方を描いているのだと思うが、ま、病気で死ぬのは「ある種」幸せで、その問いかけに答えなくても良い。原罪を背負って生きていくよりも、あっさりと死ぬものありだろう。でも、強くなければ恋人を含めて人を守れないってことを、このドラマからどれほどの人が感じただろうか。
 別に「強い」って意味は腕力に優れるって体力的な意味では無い。主人公が「私って強いのかな」と何度も反芻してるように、回りの人間が弱い故に引き起こした不幸がたくさんある。強い人間の悲しい人生、弱い人間の悲しい人生、さて、あなたはどちらのタイプだろうか。

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2005.07.11 Mint