亀田興毅(協栄)が「STOPゃ!レジ袋」

ボクシングの興行には特に興味が無い
 ま、いちおう8月2日のWBA世界ライトフライ級の試合は見た。正直、ボクシンググローブの大きさに「これはどちらの要求だったのだろう」と邪推した。14オンスはあっただろうか、強打を受けないためにチャンピオンのベネズエラのランダエタ側が要求したのだろうか。
 試合も大きなグローブのせいで「ボコ、ボコ」って打ち合いだった。1回のダウンは横からのフックが決まったものでストレートの破壊力が発揮される試合展開にはならなかった。その後、判定に持ち込まれ亀田興毅(協栄)の勝利に終わったが、判定結果への抗議がTBSに殺到したらしい。ま、プロボクシングをスポーツと見ていない僕にとっては、どうでも良い話。
 プロレスもプロボクシングもプロ野球も全てプロが付く競技は興行である。プロとして成り立つためには観客なり放映権なりのパトロンが必要で、そのパトロンの意向に沿う試合展開が望ましい。但し、八百長はいけない。八百長はパトロンの意向を裏切る。多くの観客への仲立ちとしての放映権であって観客がそっぽを向く内容はパトロンの意向に反するのだから。
興行は巧妙に行われなければならない。初回にダウンしても圧倒的強さで盛り返し、最後は判定にもつれても誰もが勝利を疑わない展開が要求される。残念ながら、今回の興行は失敗作だろう。でも、それはTBSが恥をかけば良い話で特に個人的な意見は無い。
問題は環境庁が亀田興毅(協栄)を「STOPゃ!レジ袋」のポスターに起用したこと。。しかも小池百合子環境相が7月6日に直々協栄ジムを訪れポスターのアピールをしたこと。あんな品格の無い青二才を国民の税金を使ったキャンペーンに登用するのはどうゆう神経なのか。

国家の品位がゆらいでいる
 国の政策を広報するのにポスターや冊子を良く作るが、これは印刷利権の構造がなかなか崩れないからではないか。確かにインターネットに接することが出来ないデジタルデバイド層に向けて用紙による広報は必要だろう。しかし、本来の「伝える」にコストをかけるべきで、タレントの出演料まで税金で負担する必要は無い。まして、品行方正とは言いがたい亀田興毅(協栄)を使うのは納税者の一人として疑義を唱えたい。
 小池百合子環境相も何を考えているのか良くわからない。次回の選挙のためなのか、協栄ジムでエクササイズをやってる縁故採用なのか、わざわざ出かけていく必要は無いだろう。8月2日の試合でもリングサイドに来ていたが。
 国民の税金を預かる行政府のトップとして悪ふざけが過ぎるのではないか、そもそも小池百合子環境相の仕事の実績って何だ。何も無いじゃないか。レジ袋削減なんかの主婦感覚で行政のトップとしての環境に対する見識が欠如している。
人間の品位ってのは行動を通して見えてくる。今回の亀田興毅(協栄)のポスターは行政の部局である環境庁の品位まで下げてしまった。あとは、ローソンもだな。

環境庁は広報よりも実務をこなせ
 職場の冷房を控えて室温が38度にもなって「仕事になんねぇ」とか言ってる環境庁は「お笑い」以外の何者でも無い。体を張って省エネするのも自虐的で良いのだが、基本的にエネルギー消費を抑えるのが環境庁の仕事では無いはず。地球環境を大局的に考え政策を考えるのが仕事。
本来、企業活動の裏の面である公害問題を省庁横断的に対処する役所として発足した環境庁が地球温暖化対策としての仕事に手を伸ばして現在の地位がある。本当は公害問題を整理したら解散しても良かったのだが、グレシャムの法則のとおり「役人は自ら増殖する」ってことに歯止めがきかなかったのだろう。
 省庁再編でも生き残ったのだが、本来の職務は環境保全であり地球温暖化対策とか国際事案は外務省管轄で国内の国立公園の保全を行っていれば良いのだ。横断的にと1971年に発足した環境庁だが、またもや役所の弊害で、縄張りを広げ存在をアピールする事ばかり考えて、本来論が消えている。

それにしても亀田興毅(協栄)は品格が無い
 ま、個人攻撃はしないが興行側から求められたキャラと本来の品格の無さの相乗効果(笑い)なのか、ヒーロとヒールの瀬戸際をふらふらしてるのが亀田興毅(協栄)だろう。格下の相手に強がるなんてのは武士道も反する品格の無さだし、計量で相手にケンカ売るのもカラ威張りに見えてならない。
 『あしたのジョー』の矢吹丈はチャンピオンのホセメンドーサと対戦するときにカラ威張りしていたが、これは相手の絶大な力に挑戦する自分を鼓舞するためで、決して格下の相手には示さなかった。
 日本人の規範とするキャラは不良であっても矢吹丈には何処か屈折した精神に同情が集まる。それは、死んだ力石徹への義理から破滅が予想されるにも係わらず世界チャンピオンに挑戦する姿勢だろう。そこには「日本的な」美学だある。
ま、しっかし、亀田興毅(協栄)にはそれがあるだろうか、もしくはTBSはそれを演出してきただろうか。まして、環境庁が「STOPゃ!レジ袋」のキャラクターに押す必然性があるだろうか。
 亀田興毅(協栄)と矢吹丈の決定的な違いは精神のよりどころが前者には無いか貧しい。矢吹丈にはボクシングを行う哲学と、自分を追い込み自分を律する見識が有った。だから、『あしたのジョー』は不滅であり、その気高さから「STOPゃ!レジ袋」なんて下衆なポスターにはならない。

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2006.08.05 Mint