放送とインタネ、恐竜に挑む哺乳類

民間放送(民放)の基盤は脆弱
 資本本位主義経済(イデオロギーとしての資本主義は無いと前から書いている)の中で企業は基本的にマーケット(顧客)をベースに企業経営を考える。つまり、顧客があってこその企業経営になる。これが、計画経済(共産主義とイデオロギーで呼んではいけない)では、顧客よりも目標が優先されて、作るものは計画依存で、顧客依存では無くなる。
 テレビとは何かって命題は常に語られてきた。弱小テレビ局の弱小番組(ドキュメンタリー)を担った田原総一郎氏は「テレビは物売りの道具だ」とまで述べた時期がある。日本の放送を考えるときに、NHKと民放の基本的違いに着目し、分けて考える必要がある。その違いは「ビジネス・モデル」の違いである。
 あえてNHKを視野の外に置いておく。ここで語りたいのはビジネス・モデルとしての民間放送に絞っての話なのだから。
 数年前に「視聴率至上主義」から視聴率対象の世帯を買収した職員が出た放送局があった(日本テレビとあえて社名も付記しておくが)。視聴率至上主義なのは、視聴率が高いとスポンサー費も連動して高くなるから、営業的に収益を高めるのに「視聴率至上主義」になるのだ。
 単純計算で視聴率が1%増えると100万人の目にとまるってことだ。広告を効率的に打つには多くの人の目にとまるように、視聴率の高い番組に高い広告費を払って広告を打つのが効率的と、大量消費で右上がりの経済社会では定説となってきた。
 10年程前に、韓国旅行を体験したのだがホテルで見るテレビ(民放)の広告は「えげつないなぁー」と感動した。単品では無いのだ。広告の最終画面では当該会社の複数製品が映し出される。日本で言えば、東洋水産の「まるちゃん、赤いたぬきと緑のきつね」みたいなやつが、「グリコのポッキーとアイスクリーム」と合わせ技で流れる広告がほとんど。結局、沢山の人間に沢山の商品を見せたいってことだ。

生理用品の広告が野放しで流れる日本
 正直言って男性として生理用品の広告を目にしてもなんか恥ずかしい。そもそも、表に出て広告する商品なのかと疑問に思うのだけれど、これは男性特有の反応なのだろう。一度偶然だったのだが医薬品メーカーの新商品説明会を覗いた時に「新商品の生理用品」の説明があって、説明する側も聞く側も40代前半の男性。ま、販売を担う企業の課長クラスなのだろう。そこに少数の20代の女性営業が混じるって、北野タケシ監督の描く特殊な世界って体験をしたことがある。正直言って「日本はこのままで大丈夫なのかぁ」って感覚だった。
 マーケティングに詳しい人間に聞いたら「打った広告の量に応じて売れる商品特性を持っている」ってことらしい。だから、商品説明+広告が生命線を決するのだろう。
 つまり、売るには広告するって商品特性を持っている商品ってことだ。他の商品も同じだろうか?
 実は今、民放で流れてる広告には商品を売る商品広告に加えてステータスを得る企業広告がある。ステータス広告の最右翼は全国10電力の広告だろう。「電気を買ってくださぁい!」みたいな事がそもそも出来ないのだから、社会貢献みたいなお付き合いで広告を打っている。と言うよりも、これも民放の広告収入で、出所は国民が払う電気料金って構造に、なんか変じゃないかと感じるのは僕だけだろうか。
 一生の買い物と言われる家の購入でもテレビ広告で売ると言うよりも、企業のステータス広告として利用されてる。個別物件を扱わないのだから、ステータス広告と呼べるだろう。

ビジネスモデルとしての民放
 さて、ここから本題です(前置きが長いって!)。
 結局、民放ってのは広告を打つ道具なのではないか。この命題に様々な反応があると思うが、基本的に総務省が放送法で「10%の文化放送」とか官僚の言い訳としか思えない縛りを入れた放送法であるが、野放し状態なのが実態だろう。そもそも10%の文化放送は時間で計られ視聴率を掛けたものでは無いので深夜枠で2時間も流せば「合法」になる。どこの世界に視聴率がド・シングル(10%以下)でも放送すれば法律クリアーなんて世界があるのだ。詭弁以前の問題だろう。
 それは置いておいて、民放は広告収入を得て運営するビジネス・モデルだ。収入源は広告を打つ広告企業(スポンサー)である。決して、見ている国民では無い。見ている国民は川下の「消費者」。企業収入は川上の広告企業から得ている構造だ。
 インターネット関連企業にはビジネス・モデル論議が活発だ。どんな優れたアイデアが有っても、それを事業に出来なければ継続できない。2chが好例と思うが、サーバー維持のための月間50万円も捻出できないのだ。あれだけアクセス数があってもビジネス・モデルを形成できないのがインタネの実状だろう。
 そのインタネが民放に興味を示すのは必然なのだが、民放のビジネス・モデルも、そこそこほころびが出ているのではないか。それは、広告企業がマスメディアに必ずしも傾注しなくなった今の日本の経済の現状ってことだ。1%100万人視聴に繋がる民放による広告が購入に結びつく商品はこれからも民放に高い広告費を払って広告を打つだろうが、自らの扱う商品の特性を吟味すれば、インタネが最適って商品も多い。
 最近、健康食品は薬事法とのからみもあるが、民放よりインタネが最適な媒体と感じているらしい。説得力を駆使するにはテレビ広告では無理で、テレビショッピング番組を持てない資本力では説得はインタネのホームページで、ってことに気がついたのだ。
 多くの健康食品が資本力の静寂さもあって、放送からチラシへ、そしてインタネへと流れている。注文が手軽なのはテレビショッピングの比では無いだろう。横のボタンをクリックすれば良いのだから、デジタル放送が開く未来なんて資料の中にショッピングが収載されてるが、これはインタネのほうが強いのが実態だ。

真実はインタネに有る(のかな?)
 ビジネス・モデルを考えると、インタネは個人で起業できるビジネス・モデルの宝庫だ。逆に既存の企業が参入するに難しいニッチ産業な部分もあろうだろう。僕のこのホームページも結構googleアドセンスでビジネス・モデルになっている。
 TBSとか日本を代表する放送企業の、しかも先を読む企画部門の人の講演会を聞いたのだけれど、ま、正直言ってインタネの世界を解っていない。インタネの脅威を民間放送業界は「成り上がりもの」と矮小化して認識しているようだ。実は、自らのビジネス・モデルの機能が脅かされている認識が皆無だ。
 インタネは噂のメデイアだ。発信者も利用者も情報の信憑性を吟味して自らの自己責任(自らの自己責任って用語用法も変だが)の範疇で流通する。それが新しい情報流通の時代だ。その情報流通を教えているのか義務教育は(怒!)って論点も置いておく。
 放送法に規定されてるので、真実の把握には慎重になってますって「後追いの報道」しか出来ない民放にとって、報道番組なんて重荷なんだろう。ドラマとか視聴率が稼げる番組の広告企業(スポンサー)が欲しいのであって、報道ってコストがかかるが売り上げに繋がらないお荷物だが、放送免許を守るために流している番組なのだろう。だから、スポンサーを見付け易いように「たけしのテレビタックル」みたいな番組でお茶を濁す。基本的に民放は日本の無駄産業だ。既得権の電波免許にアグラを組んで、存続事由(レーゾンデートル)すらインタネに侵食されてるのだが解ってない。現在の経営陣は政治と放送免許の既得権こそがビジネス・モデル化しているだけって点に気が付いていない。
 恐竜とは我が家の天下を経験した業界。で、NHKを別にすれば民放はインタネを敵と思っている。実は、放送デジタル化を受けて、あたらしいビジネス展開の好機なのだが、どこの民放も解ってない。だから、恐竜と哺乳類の戦いなのだが。
 勝利するのは哺乳類。ニッポン放送のオールナイト・ニッポンのDJを勤めた亀淵昭信氏に問いたい。既得権に安住し、たかだが物を売る1手法でしか無い民放の現状を「いかにとやせん」。
 「ものを売る道具」としてインタネが優れていれば、民間放送は大きな転換点に立たされる。じつは「ブロードバンドのキラーコンテンツは何か」ってテーマをここ数年考えているが、最近になって解ってきたのは、噂のメディアであるインタネに相応しいキラーコンテンツはNG集ではないかって点。
 既存の権利関係からしっかり出来上がっている構造に正面から立ち向かうよりも、ネットの持つ「薄く広がったものを集約する機能」を利用して、マスメディアの蒔いた種をじっくりと刈り取っていく。そんなビジネス・モデルがブロードバンドには潜んでいるのではないだろうか。

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2005.03.23 Mint