報道機関は単なる会社。上も下もサラリーマン

放送と報道とジャーナリズム
 「ニッポン放送」の亀渕昭伸社長が続投だとか。所詮フジサンケイ・グループの中のサラリーマン社長だってことか。そもそも鹿内家の支配から独立したはずのフジサンケイ・グループだが、結局、雇われ社長の域を出ない社長達がグループを運営しているってこと。
 世間を騒がせた責任って意味では同じなのだが事が「金で方が付いて」落ち着けば元の木阿弥ってのはなんとも寒い話だ。
 どうも、発言力(正確には情報発進力)が有るってんで放送はそれ自身権力が有るが、権力の横暴を自らの自律でコントロールしてこそ放送の権力が国民から認知されるのだが、もはや権力にアグラをかいて、自浄努力なんてのはかけらも無いようだ。
 そもそも、放送ってのは伝えるメディアであり、そこに何を流すかは限りある資源である電波を使っている限りにおいては国民の支持を得られる内容を流す必要がある。って、考え方は20世紀の考え方なのだろう。既に時代に合わなくなっている。
 最近の子供はテレビで流れることを真実と思わないし、ニュース番組にすら「わらかそうと思って、作ってなぁい?」と突っ込みを入れたりする。もはやテレビが一億国民の思想統一なんて出来ないほど信用度も普及度も下がってしまったのだ。
 原理原則に立ち返ると放送は日本の文化の普及に貢献すべき(だった)だが、そんな幻想は一度も目的を達することなく終演する運命にある。その右下がりの放送業界において報道なんてのは効率が悪く金食い虫で、キムタクで視聴率稼いで広告料を手軽に得る方が金銭的に有利だってことになってしまった。巨人戦だって視聴率がド・シングル直前なので、せめて15%稼げるドラマの放送時間を変更してまで流す必要は無いって方向だ。
 結局、良質と判断される報道番組は特定の広告主の企業看板として生き残って行くしか無い。そして、良質のジャーナリズムを目指すならインタネで個人営業って道を目指すのが今の情報化社会の「常識」になりつつある。

マスメディアの変遷でテレビが一番脆弱
 腐っても鯛。朝日、読売、毎日、産経の各新聞は発行部数の上下はあれ、ある意味明治から100年続いてきたマスメディアである。ラジオは今年で80年、ま、細々と続いている。テレビは50年。それぞれにバックボーンにある電子技術の変遷ってことがあるだろうが、まさにマスメディアは電子技術革新のテンポに合わせて栄枯盛衰する宿命があるのだろう。現在の新卒の大学生が放送局で定年まで勤められるほど放送局の産業としての寿命は長くないかもしれない。
 テレビ放送に取って変わる情報メディアが短期的にインタネであり、長期的には光ケーブルを併設した情報スーパーハイウェイだろう。テレビ放送局にとって一番改革を求められるのが、既得権益での独占的放送業務の崩壊にある。既に放送が始まった地上波デジタルテレビでは1放送局1番組の枠が撤廃され、極端な話、コンテンツに魅力があればハイビジョンでなければ1放送波で3番組+ワンセグ放送が出来る。限られたパイ(日本語の解る国民1億3000万人)を限られた放送局(番組)で割る方式の分母がどんどん増えて1番組当たりのマス効果が減少する。
 マス効果が減少すると既存のインタネ等のメディアが競争可能になってくる。
これらは全てアナログ処理では考えられなかったデジタル処理の影響である。話を単純にするが、1本の通信線を独占しなければ伝達出来なかったアナログの技術にパケット通信のデジタル通信の考え方を加えると1本の線に複数の通信を共存できる。さらに光ケーブルではWDMによって1本の光ケーブルに色の違う光を混合させて1本に複数の伝送路を構築し、その伝送路個々にパケットを流して複数の通信を共存させることができる。実験室では1本の光ケーブルに1000色の波長の違う光を共存させることが出来ている。
 ありあまる伝送路を地上の光ケーブル網が持つ故に、電波を伝達手段とする放送にとって驚異になる。特に中波ラジオのように電波が遠くまで伝達する放送は設備対効果が良いが、光ケーブルと同じように送信鉄塔を連携して細かく中継しないと伝達できない電波の周波数の高いテレビ放送は光ケーブルとの投資対効果で、将来的に追い越される可能性が高い。つまり、テレビ放送はコンテンツとして生き残っても、メディアである電波は使われなくなり、先に述べたように、コンテンツは分母が限りなく広がりマスになりえない時代が来るのだ。

既に良質な報道はインタネにある
 検索エンジンを駆使すれば良質な情報を探すことは容易である。何を良質と呼ぶかと言えば信頼に足る事実に近い伝達を行う人々からの発信を指す。しかも検索エンジンが不得手な即時性の改善に向けて、各検索エンジンは別枠でニュースを取り扱っている。このニュースをインタネで読むと何がスクープで何が誤報かも我々個人に解ってしまう。
 消え去ったニュースもしっかりフォローできる。ここ「言いたい放題」のページでも「ロッキード事件」とか「JAL123便」とかのキーワードでページを読みに来る利用者は多い。マスメディアでは取り上げられない情報でもインタネは真偽は別にしても数多く入手することができる。
 このあたりの情報入手になると個人の情報リテラシーに大きく左右されるが、テレビニュースを見て「おもしろおかしく、作ってなぁい?」と言う非常識が通用する世代には、ある意味、真逆な情報リテラシーがあるのかもしれない(それが正しいとはとうてい思えないが)。
 既存の「お決まり報道」にフラストレーションのある層がニュースはインタネから入手するって姿勢に変わっている。その変化を受け止めてテレビ放送は報道重視なのか物売り重視なのか、はては単発スポーツ中継にのみ力を入れるのか、選択を誤ると確実に訪れる終焉を、さらに早めることになる。

インタネのジャーナリズムは放送で紹介
 番組のお知らせにurlがテロップで流れるのが今のテレビ放送のインタネとの連動だが、これは真逆なのだ。ホリエモンが考えているのはインタネで紹介しないと番組を見る人が居なくなる時代における放送番組のありかた(で、無ければならないのだが、説明下手がホリエモンの致命傷だ)であり、新聞のラテ欄やテレビガイド頼みの今の放送の問題点だろう。
 放送の弱点と言えば「瞬間芸」でしか無い点である。インタネの良い点は、一度収録されれば未来永劫情報を提供(利用者が入手)できる点だ。放送には「あの番組、ビデオに撮った?」的な事後のフォローしかできない。
 で、大切なことは事前のフォローである。「本日9時放送!」なんて流してるが、正直言って視聴者の我々は、今の広報がどのチャンネルを指しているのか知らない。漫然と見ているので9時に何かあるな、くらいしか解らない。しかも傑作なのは「御覧のチャンネルで夜10時から」なんて言うが、御覧のチャンネルが10時まで継続して受信している保証は無いし、ましては、御覧のチャンネルが何チャンネルか知らないって!
 この台詞を聞くと毎度「放送は作る側の目線を止めたら良いのに」と思ってしまう。明らかに作る側の論理が「御覧のチャンネル」発言なのだ。
 ここに、パソコンのカレンダーと連動して、番組予約カレンダーを作るaspが有って、、今週の視聴予定表なんかが事前に作成できれば、事前の広報効果はかなり高くある。そのようなインタネの利用を放送局の人間は想像すら出来ないようだ。
 インタネでフリーソフトを使えば出来ることを地上波デジタル(地デジ)のサービス品目に入れようとしてるのだから。
 ホリエモンは必ず一番手で失敗する。ま、今回のニッポン放送はソフトバンクの2番煎じと言えないことも無いが、ホリエモンの次に手を上げる人間が本命なことが経験的に解ってる。さて、誰が放送とインタネの融合に手をあげるのだろうか。

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2005.05.12 Mint