大学祭でアルコール禁止、たくもう北海道大学

自己責任を否定する蛮行が教育か
 最初に断っておくが大学祭とかなんとかの集まりで酒を飲もうが飲まないが、そんな事はどうでも良い話だ。そもそも酒を飲んで講義を行おうが、酒を飲みながら講義を聞こうが、それは個人の自己責任で規制すべき事柄では無い。
 昔、コンピュータの計算センターに勤めていた時に仕事が忙しく夜の10時も過ぎると残って仕事をしている人間は毎度お馴染みのメンバーになってくる。この時に、「おいMint、缶ビール買ってこい」って1000円札(当時は1000円で8缶程買えた)を握らパシリをさせる先輩が居た。大型汎用機を使うので時間的に24時を越える割り当てなので待ちが発生するのだが、その間、ビールでも飲んで待とうってことだ。
「いんですかぁ、酒なんか飲んで」と言うと「しらふでも仕事が出来ないのが素人、プロは飲んでも仕事が出来る奴。仕事が出来る自信が無いなら飲むな」と怒られた。 結局その先輩は職場を追われる事も無く、優秀な人材と一目置かれていたのだ。当時の新入社員の僕は飲んだふりで付き合っていたが、正直、酔ってもオペレーションのキーボードをミスパンチも無く打つ様に「しらふの素人より酔った玄人のほうが何倍も仕事するわい」と感心したものだった。
 そもそも酔っても出来る奴としらふで何も出来ない奴とどっちがエライんだぁ。と思う。そして、それはケースバイケースで結局は自己責任。もっと言えば自己責任を負える気概があるかどうかって世界の話だろう。
今年(2005年)の北海道大学(北大)の大学祭に関して、教授会(か、どうか、報道は明確では無いが)で「キャンパスでのアルコール禁止。破ったものは退学処分」なんて方針を決めたらしい。まったく、運営してる教授陣も通っている学生陣も見下げた幼稚園児で構成されてるのか国立、北海道大学(北大)は。税金泥棒がここに来て露呈した思考回路の稚拙さだと僕は怒りを感じる前に情けなくなる。
*北海道大学の関係者を幼稚園児と誹謗して、多くの幼稚園児にいわれなき差別を助長した事をお詫びします。

保身が全面に出ている北海道大学の方針
 極論すれば「馬鹿は死んでも良い」のだ。社会は揺りかごでは無い、自己責任を負えない人間は社会生活を営むことは出来ないのだ。その社会人育成を責務とする大学で教授陣の保身から「馬鹿は一人たりも出さない」そのために毎年急性アルコール中毒で病院に担ぎ込まれる事態を改善するのら。だから、酒を飲むのを禁じるって論法は大人社会のものでは無いだろう。反面教師あってこそ人は育つのだが、全てマイナスの要素を排除して温室栽培して、人は育つのだろうか。
 で、僕が糾弾したいのは、そのような「通達」をしごく当然のように決定し、それで自己責任を果たしたと勘違いしている人間性がはびこっている北海道大学(北大)の教授陣を含めた無責任体質だ。
 その無責任体質に気が付かない感覚が先に書いた「北海道の5悪」にリストアップされる北海道大学(北大)の問題点なのだが、それを自ら助長して証明してるって事に気が付かない体質が、今回の「大学祭アルコール禁止」って女子大生もあきれかえる責任回避宣言だろう。(女子大生、例えに出してごめんなさい)
 アルコール禁止を通達したのだから、その決まりを破って病院のお世話になった学生は我々(教授陣)の通達を破ったのだから、われわれに責任は無い。って、ただただ保身なのだ。自己チュウなのだ。それが、国民の税金で運営されている国立大学の運営方針として妥当なのか考える頭も無いのか。
 酒を飲みすぎて急性アルコール中毒で死ぬのは自己責任。それを教えるのが教育。その基本が出来てないで何をか言わんやだろう。「研究没頭専門馬鹿」これが大学の教授だって常識を打破しようと起こったのが60年から70年に起きた学生紛争の根源だったのだ。それを左翼的テロに置き換えて逃げ延びたかもしれないが、今回の北海道大学(北大)の措置は、かの学生運動が正しかったけれど何も改革できなかった証左だろう。腐った体質は冬眠しながら台風一過を待ってまた発芽っしたのだ。
「馬鹿は死んでもしょうがない」
 他人に対する責任を背負わなければならないほど人間の人生は長くない。個々人が自己責任で生きていく時に個人尊重の社会が形成できる。何かあったら責任者を探し出し、つるし上げれば良いって風潮はマスコミが作ったのかもしれないが、社会の本質からえらく逸脱してるのだ。
 平和な時代は「なりたい人間になれる」社会を個人に提供してきた。反面教師だが「なりたくないものに、ならなくても良い」ってことだ。軍人にならなければならないって強制は無い。強制されたほうが生きるの簡単って考え方をする人間のために、他の人間の人生が損なわれた時代を経て、一部の餓鬼の行動のために全体が規制されてはいけないって考え方まで育ったはずだ。でも北海道大学(北大)は一部の危惧の回避のために全体を縛る決定を、何の疑問も持たずに決定した。これが、今の北海道大学(北大)の現実だろう。社会から乖離した公務員集団って宣言したのだ。ま、一般社会人からは考えられない愚考なのだが。
 インタネは言葉狩りが無いのであえて過激な言葉で書くと「1%の気違い抑制のために99%の人間の自由を縛ってはいけない」ってのが一般論だろう。毎年急性アルコール中毒で学園祭の間に病院に運ばれる学生は20人弱居るらしい。でもね、その20人のために残りの学生が「退学前提」なんて通達で縛られてるのは「教育」なのか?
 そもそも、北海道大学(北大)は教育機能を失ってるだろうがぁ。面倒を背負いたくないって、ただ、それだけだろう。自己保身して教育出来る訳が無い。他人の責任っすら被ってこその社会人なのいだが、拒絶の姿勢で頑張る方針が北海道大学(北大)の経営方針らしい。ま、集中砲火浴びることになると思うが。


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2005.05.18 Mint