時代の変革期に現れるダークな勢力がホリエモン
ダースベーダーそのもの
スターウォーズで何故か人気のあるダースベーダだが、強さ、抱える背景、代表する勢力へ成り上がった力、そんなものが若者を引きつけるのかもしれない。もっとも、札幌の地下鉄社内に現れた時はしっかり地下鉄のつり革を握っていたらしいが。
「治において乱を忘れず、乱において治を忘れず」とは言うが、庶民感覚として閉塞間のある時代には、あえて乱を望む潜在願望がある。それが「自民党をぶっつぶす」と発言した小泉純一郎首相の人気の根源だろう。
ホリエモン人気も同じように前例世襲では無く常に新しい方向を目指していた点にあるのだろう。これは旧態依然の守旧派には煙たい訳で、何時か首根っこ抑えてやろうと虎視眈々と狙っていたのだろう。これは小泉純一郎首相にも言えて、どこかで秋の総裁選挙を狙って虎視眈々としている勢力が居るだろう。基本的に小泉人気をぶっこわすのは金か女かのスキャンダル、もしくは失言だが、この方面は鉄壁の守りだから難攻不落。しいていえば側近のスキャンダルだが、これは首相側が火消しをしやすいマターなので中々難しいだろう。
で、時代の変換期には良くある話だ。旧制度の隙間を突くと言うか、相手の「想定外」の部分に切り込んでいく。典型的なのは戦後の闇市だろう。いかに統制しても物資の絶対量が不足しているのだから、違法であっても闇市は無くならない。
同様に下がりつづけた株価に嫌気がさしていたらIT関連は株価上昇の原動力だともてはやされ、企業の景気回復による金余り現象の中で急激な株価の上昇が起こったのが昨年(2005年)の秋の東京証券取引所の状況だった。
ダーク勢力が台頭し絶好調って時期だった。
10年前に、何が起きていたか
元三重県知事だった北側氏の講演会を聞きに行ったときに「何か変化が見えてきたら、そのトリガーは10年程前に引かれていたんです。だから10年前に何があったか、そして、今を見れば10年後も見えてくると考えるんです」と話されていた。
時代の変換期なんて言っても実際に10年前にそのトリガーは引かれ、10年経って目に見えてくるって話だ。では2007年から遡ること10年1997年には何があっただろうか。
国民生活って面では1997年2月の京都議定書。10年を経て効果と言うより地球温暖化の影響で東北地方に大雪被害が発生した。地球温暖化が気象に及ぼす影響が10を経て見えるようになってきたってことか。
金融関係では北海道拓殖銀行(拓銀)の経営破たんも1997年11月。サッカー日本代表がワールドカップ出場を決めた翌日だった。この頃から金融の再編は進み始めた。多くの金融機関が不良債権を減らすべく合併したり公的資金で食いつないだ。
金融の主役であった銀行がゼロ金利政策で保護されながら債権を目指してスタートを切ったのが10年前だったのだ。
そしてその1年前に、ホリエモンが資本金600万円でライブドア(当事はエッジ)を設立する。2002年に経営破綻したlivedoorの無料ISP事業の提供を受けてISP事業に手を伸ばしたまではまっとうな会社だった。Lindows4.0の提供もまともな会社としての事業だが、なんせ金がかかりすぎる。デファクトスタンダードを金の力で形成しようとしたNTTドコモが海外での巨額の赤字を計上したことを考えると、デファクトスタンダード形勢が世界企業へのステップって着目点は正しいかLindowsでは無理だろう。。
実際、この時期からファライブドアは起業買収を繰り返し、株価を吊り上げ、赤字事業に湯水のように流し込む。なんせ、どれもこれも収益を上げられる状態では無いのだから。それも、無料でデファクトスタンダードにしようって無理がたたったのだろう。
何故、時代の変革期にダーク勢力が
旧制度にアグラをかいていた守旧派が守りきれないほど環境が変わったってことでしょうね。この10年を振り返ってみるとやはり銀行が金融に占める割合が低下すると伴に物作り産業の工場等への再投資が鈍っているのでしょう。その替わりに労働集約型産業構造を淘汰して伸びてきたのがアルビン・トフラーが「第三の波」で述べていたような知識集約型の広義の情報産業。
その一部が株高で手にした資金を旧来なら銀行だったものを証券に投資して更なる資本の増強をはかる。自民党の一部が「ホリエモンのやってることはマネーゲーム」と証している。そもそも知識集約型産業は旧来の生産方式と違うわけで、旧来の基準でマネーゲームを下に見る姿勢はいかがなものかと思う。もっとも、旧来の基準だから変革期は法律を犯しても良いとは思わないが。
日本はコンプライアンスに無頓着な部分があった。それはほとんど単一民族なのと外国人労働者も昔は少なく、阿吽の呼吸と、そんなことしたら後ろ指さされるの道徳で全て乗り切れたからだ。これすら、守旧派の願望で、実際にはアメリカ追従の小泉純一郎首相の下、アメリカスタンダードをデファクトスタンダードにしようって機運がこれらの文化とまで呼んでよい日本の道徳すら侵食してるのだ。
アメリカにはおかしな法律が沢山あるが「わが町で核爆発を行った者は50ドルの罰金」なんてのもあるらしい。ま、50ドルは別にして、日本では何処で誰が核爆発を行っても止める法律は無い。事後に汚染の状況から裁く法律はあるかもしれないが。だから、たぶん、爆発物取締法でも核爆発「想定外」だろう。
この「想定外」を想定しなくて良いにまで高めたのが守旧派の単なる信仰であったのだが、その理解が進まないと時代が変革期に入るのだろう。
にわとりと卵の関係と呼んで良いのだろう。
法律を犯しているだけでは
別項で猛反論したいのだが、宮崎務の最高裁判決が出た時に朝日新聞に載った解説に「我々は何を宮崎務から学んだのか」(意訳)って論文があって、オタクを放置してきた責任みたいな事が書かれている。この意見に賛成な学識経験者が多いようだ。
まったく的を外してる。間違いと基地外は何処にでも居る。それを、極少数のサンプルを持ち出して世の中を語ろうってのは居の中の蛙、大海を知らずだ。我々は宮崎務事件から危機管理手法を再構築するってことを学ばなければならないのだ。宮崎務事件が露呈した社会のダークな面に対する危機管理の弱さ、それは、今でも続いている。
ある意味で情報化社会は自己責任社会であり、黙っていても安全では無いって傾向を理解すべきだ。オタクが増えれば社会が多様化し、多様化すれば価値観も多様化し、先の安全道徳信仰だけでは立ち行かなくなるのは明らかなのだから。
ま、これについては別の項目にするが。
で、同じように「我々はホリエモンから何を学んだのか」を考えてみたい。
個人的にはそもそも嫌いなタイプなんで(笑い)関わらなくて良かったなぁくらいの感覚しかないのだが、そもそもビジネスモデルの本質を見通すことが出来なかったってことでは無いのか。それは、旧来なら銀行筋の評判、なんて評価基準があったが、それすら無い。そんな中でろくろくビジネスモデルの評価も行わずに経団連に入れたってのも守旧派の価値観が時代を理解できてないって証左だろう。
自民党も守旧派だと思うのは、小泉純一郎の鶴の一声でホリエモンを選挙に担ぎ出すってのは評価基準の欠如とともに小泉イエスマンの集団になっているからだ。物事を見極めるって洞察力と判断と、それを支える情報、これが無くトレンドばかり追っていた結果がここまでホリエモンを寵児にしたのだろう。
さらに加えれば、小泉純一郎首相は、そこに至る自己責任すら否定し、無責任な言動で逃げ回っているってことだ。