流水プール事故に見る複雑系システムのデメリット
埼玉県「ふじみ野市大井プール」の事故
NHKのアナウンサーが「あってはならない事故」と表現していたが、そのとおりだ。本来事故は想定外の所で起こるが、今回は想定外とは言い切れず、論理的で無い表現にも係わらず「あってはならない事故」は事の本質を突いている。
流水プールの吸水口に吸い込まれる事故は始めてのものでは無い。循環用吸水口に張り付けられる事故も多発している。つまり「想定内」にも係わらず繰り返されるのは、現場の管理の欠陥もさることながら、プールの吸水口の設計自体に危険性が潜んでいたことを暗示する。報道で流れてくる内容に「マニュアルが無い」があるが、本来、人間の五感で感知して対応できることが望ましく、それが無理だからマニュアルで事前に知識を習得して起こりうる不都合を「想定内」とし、事故に繋がらないように対応する。
今回の事故は小局的には現場の安全管理、大局的には流水プールの設計思想に見られる複雑系システムの危険性を感じる。人が泳いでいる横で泳いでいる水を吸引する危険性こそが遊具の設計思想として欠陥がある。楽しいプールを造るために利用者を危険に晒す、そんな設計思想は間違っている。
本当に「あってはならない事故」に遭遇し、命を亡くされた子供さんと、目の前でわが子を失った母親の気持ちを考えると、流水プールの設計時にまで遡って、今回の事故と同等の事故が起こらないように備える複雑系システムの問題点を探っていきたい。
亡くなられた子供さんのご冥福をお祈りいたします。
目に見えない所で取水する危険性
プールは流水プールに限らず強制的に水を循環して浄化する必要からどこかに水の取水口がある。これが多くの場合、効率性を考えてプールの底や側面に設置されている。この取水口は子供達にとって格好の遊び場で、体を取水口のゲートに張り付かせて長時間潜ったり(体が浮かない)、引っ張られる恐怖を味わったりする。
監視員が見張っていても、取水口は水の反射で真上から見ていないと良く見えない。しかも、プールの真ん中でプールサイドから見えない所に設置されてるものもある。
人間は見えないものを監視する能力は弱い。プール監視員が見えない取水口を常に監視する緊張感は保てない。まして、アルバイトでは危険性すら意識できないだろう。
また、流れるプールでは一般のプールより多くの取水口とプール全体を回す吹き出し口が必要で水の浄化を考えるよりはプールの取水口の数が多い。つまり、子供達の格好の遊び場も多くなる。監視員も数箇所を常に監視する必要がある。
今回の事故を起こしたプールはステンレス製の格子で人の吸い込みを防いでいたが、これが4本のボルトで固定するものが2枚ある。
話は逸れるが加圧水型の原子力発電所の一次冷却水と二次冷却水の熱交換搭でU字型のパイプに小さな穴が開いたりひび割れが見つかったりしている。当初の設計では「あってはならない事」なのだが、流れる水によって想定外の振動が発生して脆弱になっているらしい。金属は非常に振動に弱いって考え方を予備知識として持って欲しい。
で、格子状の柵がどれくらい振動にさらされているかは事故を起こしたプールの取水口の柵を留めているボルトのかなりのボルトが紛失し針金に交換されてることから4箇所の固定では柵が流水にさらされて振動するのを支えきれなくて、緩んだのだろう。報道からは流れてこないが、本来ボルト締めでは緩みが激しいので現場は針金留めに変えたのではないのか。
危険が目に見える設計なら事故は防げた
流れるプールが出現してかなりの年数になるが、基本的に「電動ソーメン流し」のように水を吸い込んで吐き出し流れを作っている。
人間を流しソーメンのように扱っている装置だ。僕は直感的に流しソーメンになりたくないので、以下のような構造の流れるプールを提唱したい。
吸水口は設けない。プールからオーバーフローした水を使う。このオーバーフローは人口波を利用しても良いだろう。プールの外の遊水地へ水をオーバーフローさせるのだ。
人が吸い込まれることは無いが流されることはあるだろう。これは遊水地に流れ込む部分を斜めの網にして固形物はこの網で捕らえる。
遊水地からはポンプアップで上に水を揚水する。この部分は人は入れない。揚水搭の最上部から滑り台のように(ここも閉じたパイプでは無くオープンな樋構造)水を斜めにプールに戻す。この途中から滑り台プールにしても良いだろう。
この揚水搭をプールの規模、流水の速度に合わせてプールの回りに数基設置する。吹き出し口はプールの側面にあっても良いし、滝として利用しても良い。
この構造なら何処が危険かが目に見えるので監視も容易だ。一番大切なことは誰が見ても何処が危険か直感的に解る構造が求められることだ。安全な流水プールを造るには流水の原理が解りやすい(教えなくても解る)ことが必須なのだ。
設計は誰に対して行われるのか
設計は常に内部構造を隠したがる。いかに隠すかがデザインの真髄とでも言いたげに。しかし、そこに潜む危険性は考慮されていない。
昔、ホテルの新装オープンに立ち会ったことがあるが、設計者が説明してくれた中に「トイレをいかに隠すか」ってのがあった。ロビーの入り口から見えないように衝立を立てて、全体の美観を考えたと言うのだが、正直、僕にとっては無駄な衝立でトイレを発見出来ずに失禁する人が出たらどうするのか心配になった。
綺麗なホテルロビーではあるが使いやすいホテルロビーにはなっていない。ロビーで従業員にトイレの場所を聞かなければとても分からない場所なのだから。気軽にトイレの場所を聞けるグレードのホテルでは無いのだし。
昨今の複雑系システムには実は「無駄に複雑」なものが多い。このあいだyahooオークションでsonyのCDラジカセ1995年製を1000円で落札したのだが、このラジカセのカセットデッキがオートリバースでは無い。これには感心した。それで重量を軽くできるのであれば利用者にとって有りがたい話で、CDラジカセに求められる可搬性を最大限に考えて設計したのだろう。スピーカーも軽く、これで音は大丈夫かと見たら、本体の横の溝にはめて固定し、低音も出せるようになっている。どう見ても「私をスキーに連れてって」で担いでいたラジカセより軽く音が良い感じがする。
パソコンがその最たるものなのは良く知られたこと。本来本体内部に組み込むものをUSBを使って外付けオプション化するのがトレンドなのも無駄な複雑系を排除する方向なのだろう。極めつけはWindowsのOSで、電卓や時計がアプリケーションとして付いてくる必要性があるのだろうか。
世の中には複雑系システムが高性能と勘違いする向きもあるが、実際にはシンプルに作るために設計の手腕が発揮されるのが正しい脳みその使い方だ。第二次世界大戦中に彗星等の航空機の設計を手がけた山名正夫氏は「設計はコンプロミズドデザインだ」と話しています。設計とは物作りの妥協なのだ、理想をデザインするのでは無く妥協こそが実現手法として重視されるのだとの意味でしょう。
利用者を意識しない製品は世の中に受け入れられない。まして、危険性を直感的に知らしめる妥協をしないのは設計者の背徳でもある。
今回の事故の遠因には格子柵の取り付け強度不足。それを、針金で補った「自分本位な妥協」、そして、危険性が生命に係わる危険性なのだと知りえなかった現場の教育の不徹底と構造設計上の危険性のアピールを回避したような妥協。全部、方向のベクトルが別な方向を向いている。
重ねて、亡くなられたお子様のご冥福をお祈り申し上げますとともに、「あやまちは、もう繰り返さない」姿勢を自分も含め、関係方面にお願いしたい。