OhmyNewの船出とインタネ(*)の潮流

OhmyNews(2009年4月30日閉鎖)掲載の記事です
日本版のOhmyNewsが船出をして2週間程経過した、どうもこの船は潮の流れを読みきれず舵を直進に設定するものだから、はたからは左に流がれる潮によって左への航跡を描いている。
ま、左でも右でも要は推進方向+潮流で船の進む方向が決まるって言いたかっただけ。「左」はジョークです。
船の針路と潮流は双方相まって進行方向を決めるのであるが、既存の一般マスメディアのスタンスでインタネの潮流を読めずに進路が不安定になっている感がある。
今まで目にしたいくつかのテーマで考察してみる。
1)2チャンネル批判
 OhmyNewsが2チャンネルの対極にあるって考え方は潮流を読めていない。まさに、そのように運営したいのならば潮流に逆らって一歩も前に進まず停滞していることになる。停滞以前に潮流に押し戻されることにもなりかねない。2チェンネルを参考にして2チャンネルに欠けるももは何かを補填してこそOhmyNewsの進路が見てくる。
2チャンネルの対極ばかりを志向しては流れに乗れないのは自明だ。
2)匿名実名の徒労の論議
世間一般には実名により権威を担保する方法があるが、インタネでは通用しない。極端な例だが、権威ある(と思っている)本人が書いたものは10編あれば10編とも権威を持つのが一般マスコミだ。だから「誰が書いたか」が重要になる。作者の人格が作品を裏打ちする。
インタネの世界ではそもそも本人確定が難しいので作者の権威などは存在しない。「誰が書いたか」では無くて「何を書いたか」が重要で、単編それぞれがインタネの世界では人格を持つ。
一般マスコミでは著名人が書いた10編の中には出来不出来のバラツキもあるが、総体として人格を持つ。
インタネの世界では単編ごとに人格があるので、正直、不出来な書き込みは批判される。「誰が書いたか」よりも「何を書いたか」が重要であることを肝に銘じなくてはいけない。
3)「この記事にひとこと」欄の傾向
 日本には一億総評論家と呼んでよいほど評論家が居る。最近はコメンテータとか名称は様々だが、基本的に自ら何かするのでは無く、起きた事象を評論する。
これは、日本独特の文化であろう。文化だから潮流であり否定することからは何も生まれない。逆手に取るくらいでないと潮流に乗れない。
 実は評論家が存在しえない分野が2つある。一つはアマチュア無線の世界でここには評論家は居ない。二つ目はインタネだ。どちらも情報伝達手段のため、評論家自らが参加しなくては情報発信できない。自分が評論家だと思っても周りから見たら参加当事者に見えるのだ。
 評論への対抗策は「何を重箱の隅をつついて」とか「揚げ足取りでしょう」とか「意見の相違ですなぁ」とかだが、別にその意思表示を記者がする必要は無い。
先に書いたように「何を書いたか」が判断基準で、書き込み自体が人格を持つインタネの世界では評価は書き込みを元に記載した人間の人格へとフィードバックする。記事本体も「ひとこと」も平等にこの判断基準が適応される。
唯一、本人特定は出来なくても良いがOhmyNewsに書き込む以上は、コテハン(固定ハンドル)である機能を堅持すれば良い。経済の世界では「悪貨は良貨を駆逐する」がインタネ世界では「悪貨は良貨に駆逐される」。

OhmyNewsの進路、舵の切り方
日本の文化は本音と建前の文化が混在する。「空気が読めない」って言葉が若者の間に流行っているが、広義に解釈すれば今の若者の中にもこの文化が浸透しているのだろう。既存の一般マスコミは建前を皮相的になぞる。一部の週刊誌は若干本音で書かれている部分もあるが、本音と言うより建前批判で真の本音とは言いがたい。
そのマスコミの姿勢があるので、我々国民が物事の真実に迫るには新聞は50%が嘘、週刊誌は90%が嘘と見ておかなければならない。真実に迫ろうとすると巧みな建前の包装紙で真実を包み隠し嘘にしてしまう。
新聞が最も真実を伝えているのはラ・テ欄(ラジオ・テレビ番組欄)、週刊誌が最も真実を伝えているのは目次(自分で創るから当然か)だと思っておいたほうが良い。
既存のマスメディアの感覚では「市民記者」なのだろうが、インタネの世界で市民なんて言葉を使うのはかの「プロ市民」(笑い)だけだ。
そもそも「市民」は共和制古代ローマにおいて都市国家の参政権と兵役を行う男性に付けられた名前だ。市民の概念は年代によって異なるが、市民記者の市民はインタネには馴染まない。
インタネの中でのメディアの概念を一般のマスメディアと比較すると、先の日本の文化のある瓦版(かわらばん)に行き着く。市民(住民)の側に立った記者が行えることは瓦版の発行である。
「江戸の文化が今、インタネの世界によみがえる。OhmyNews!!」ってコピーはどうだろう。
皮相的建前文化(既存のマスコミ)と対をなすものは何かと考えると、本音で語られる瓦版に帰着する。
OhmyNewsがどの方向に進むのが潮流を巧く捕らえるかと言えば、この「瓦版的な」手法を随所に取り入れることだろう。加えて、インタラクティブのな機能を生かせばインタネ時代の瓦版として順風満帆になるのではないだろうか。
(*)...インターネットをネットと略す人が多いが、ネットは通信レイヤーの総てを指すので、あえて、アプリケーション層に着目してインタネと僕は称している。

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2006.09.15 Mint