もっとましな解散時期があった
全ては結果論との話は承知しているが、7月21日に解散になった衆議院そして選挙投票日は最長の期間を経て8月30日に決まった。このタイミングまでに何回かもっと自民党にとってましな解散、つまり自民党に有利な解散が出来たはずだ。そもそも前任者の福田康夫元総理から「あなたの手で解散を行ってください」と選挙管理内閣を託された麻生太郎総理だが、その最大の職務である衆議院解散総選挙を「追い込まれ解散」よろしく7月21日の任期切れと同時の次期まで引きずった。その期間およそ10ヶ月。振り返るともっと自民党に有利な衆議院解散のタイミングは何回かあった。何故、よりましなタイミングを麻生太郎総理は逸してしまったのだろうか。解散前の自民党の衆議院での議席数は異常に多かった。参議院で過半数を失っているが「ねじれ国会」を乗り切る事が可能な衆議院の2/3条項が行使できた。そのためには今後とも(少なくとも2010年夏の参議院選挙まで)、郵政民営化選挙で得た議席数を維持しなければならない。つまり、2/3条項の行使が今後とも維持できなければ真の政権政党として進められない。選挙を行っても過半数では勝利にならないって強迫観念によって解散を躊躇したのだろう。そして、2/3を保証する支持率は得られず、事態は坂道を転げ落ちるように悪化していく。 鳩山邦夫氏のリークにより、日本郵政の社長交代人事が麻生太郎総理主導で1月から進められていた話を書いたが、まさに、改革派の本丸である郵政に手を出した頃から麻生太郎総理の敵が自民党内部から生じた。その詳細は先の記事を読んでいただくとして、麻生太郎総理は昨年(2008年)10月末解散を自民党の世論調査数値で止められ(任期満了まで衆議院解散は無いのか)リーマン・ショックが引き金となった世界の経済危機を利用して補正予算で大盤振る舞いして支持率を上げ、支持率の回復をもって衆議院選挙を行いう予定だったのだろうが、このピークは1月から2月で、郵政人事に手を出したことが発覚した時点で自民党内で身動き取れなくなった。 選挙対策委員長まで福田康夫前総理から引き継いで選挙こそが麻生太郎内閣の最重要課題だったのに、姑息な方法で支持率を上げようとグズグズしている間に、郵政人事で自ら墓穴を掘ってしまったのだ。 そもそも、就任時に「麻生太郎は失言問題が潜在的にあるから、さっさと選挙に行ったほうが良い」って自民党長老(森元総理)のアドバイスもあったのだが。 |
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2009.07.24 Mint
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