全電源喪失は「想定内」
全電源(外部交流、内部発電交流、バッテリー直流)が喪失すると原子炉は制御不能になるが、その事態は「想定外」であったってのは100%嘘である。もしくは無知である。技術者の不勉強ですらある。重大な事故原因がこの思いこみに含まれている。
まず、ECCS(非常時炉心冷却装置)は全電源喪失では機能しない。これはそのように設計されている。ECCSが機能しなければ原子炉は「制御不能」になるかと言えば、その時に「最後の砦」が用意されている。つまり全電源喪失でも「想定内」の安全装置があるのだ。
一号機
先に
福島第一原発のアイソレーション・コンデンサーで書いたように福島第一原発一号機には全電源を喪失しても無電力で動くアイソレーション・コンデンサー(非常用復水器)(IC)が備わっており、これが不完全な操作があったにしても曲がりなりに機能していた。
二、三号機
その後、何故二号機や三号機にはICが無いのかと書いたが、同様の全電源喪失時の最後の砦としてICに替わる装置としてよりICより発展したRCIC(原子炉隔離時冷却系)が用意されていた。動作原理は炉心で発生した水蒸気でタービンを回しポンプを動かす仕組みでICよりも長時間稼働可能だ。加圧水型の原子炉でも同様の装置が設置されている。
まず一号機のICだが全電源喪失後12日午前0時まで設計で想定された時間稼働していた。その後、炉心の水位が下がり8時36分頃には炉心の露出が始まった。この時、7時55分に3トン、8時15分に4トン、8時30分に5トン、9時15分に6トンの淡水が一号機には注入された。この時点では淡水である。原子炉停止直後の発熱を冷却するには量が少なすぎる。原子炉内の圧力が高かったのでベントして圧力を下げ注水する必要があった。また、淡水の準備可能な量には限度があるので海水注入をICが動いている間に用意すべきであった。
2号機のRCICは14日の8時頃まで稼働している。実に事故から63時間だ。3号機は12日23時頃まで32時間稼働してる。
このICやRCICが稼働している時間は原子炉は最後の砦ながら「制御可能」状態にあった。そして次の段階が「全電源回復」や「非常用発電復帰」「外部電源からの給電」等の可能性を考慮しながら最後は海水注入による冷却を準備する。
特に1号機は8時間しか余裕が無いが、ベントと海水注入を素早く行えば「制御可能」状態を続けることが出来た。実際に海水注入が始まったのは12日23時頃で炉心が露出してから20時間も経っていた。
2号機は海水注入が14日16時34分、RCIC停止から8時間後である。3号機は13日13時12分、RCIC停止から14時間後である。
海水注入で確実に廃炉
上記のICやRCICの最後の砦は時間の経過と共に効力を停止するのは設計時から解っていた。その間に何を手配すべきか、福島第一原発では結論として海水注入しか選択しは無いが、これにより原子炉は廃炉になる。その判断は経営判断でありしかも時間との戦いである。東電の清水社長は「ベントと海水注入の指示は自分がした」と後日答えているが、だとしたら、何故、遅れたのか。遅れることにより原子炉三基が「制御不能」になった。
ICなりRCICが時限を限って稼働した時、次の一手は何か。これは現場はマニュアルで知っていただろう。また、電源の回復は間に合わないのも気がついていた。しかし原子炉を廃炉にする決断は現場では出来ない。経営判断が必要だ。下手すると使える原発を廃炉にして株主訴訟を起こされるかもしれない。
米軍はこの事態を正確に予測していたと思われる。原子力空母を派遣するのは原子力空母の事故対策設備を福島第一に持ち込むためだ。これを政府は東電の言うがままに断ってしまった。しかも菅直人総理は「ベントをしろ」を繰り返した。実際にはあの時点では海水注入を急がせるべきだった。「原子炉に詳しい」と自負する割には物事の本質が解っていなかったのだ。しかも海水注入を躊躇さえした。
福島第一原発は全電源喪失も「想定内」だった。そして的確に対処すれば原子炉は制御可能だった。今後の刑事裁判には貴重な事実が明らかになりつつある。
参考資料:
見逃されている原発事故の本質(
山口 栄一氏)