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鉄路は社会的インフラ
北海道新聞が色々書いているが、記事を読んで感じるのは、30年前の国鉄分割民営化の誤りを追及するって、ま、マスコミに良くある「追及」の手法かなと思う。人間は判断を誤る事が多い。その時に何故誤たのか認めてこれからの軌道修正に生かすのがいわゆる「説明責任」だろう。 北海道では遠路辿りついた人に「何時の汽車で来たの」って表現が昭和の時代にあった。町を訪れる人は駅に何時に着いたかが重要な他地方との連携の判断材料だったのだ。何故なら、駅から真っ直ぐ来たのか、ブラブラ駅界隈を遊んで来たのかの判断が「何時の汽車で来たの」って言葉に秘められている。もちろんブラブラしてくれた方が街を理解できただろうと歓迎するのだが。 鉄道が「人を運ぶ」って発想は東京の霞が関から新橋に流れて「おらが日本の中心」って思って飲んでいる官僚の「ゲスの極み」なんだなぁ。 基本的に東京は日本を代表していない。特殊な社会構造の中で特殊な政策決定を行っている日本のゾンビが巣をはりめぐしたのが霞が関で、これは古くは薩長の築いた行政機構となんら変わっていない。律令国家には利権が存在するって大化の改新依頼日本人が信じ、誤解した律令国家体制を今でも継承している。逆に「利権」無き聖域には政治家は無関心なのだ。 明治の時代に日本に鉄路を延ばそうと考えたのは富国強兵の国家を支えるのはエネルギーだと考えた当時の行政の判断で、その輸送路として鉄路が敷設されたのは歴史の事実だ。 ただ、日本に特有なのは早く鉄路を敷設するために海岸線の平地を中心に鉄路の敷設を行ったことだ。当時の陸軍は国家防衛の立場から海岸線への敷設は国家安全保障上の問題が有ると述べている。 イギリスの廃止になった鉄路図を見たら明確なのだが、イギリスは海岸線を避けて鉄路を敷設している。国土が平坦なことを考慮しても鉄路ってインフラが海岸線で敵国の艦砲射撃で寸断されることを配慮したからだろう。 実は日本も鉄路の利権として日露戦争の戦時交渉で満州鉄道の利権を得た。 不思議なのは周辺地域の自治権が無いのにも関わらず鉄道だけは日本の権利だって矛盾。それに対して「まぁまぁ、運用は任せろよ」と言ってきたのが当時のアメリカ。鉄路維持運営は国家の国防戦略として当時は考えられていた。 今の時代も鉄路は高速道路と同じ社会インフラなのだが、鉄路をその視点で語るマスコミが無いので、JR北海道の独自維持困難路線論は何となく「廃線もしょうがないかなぁ」って報道が先行している。 再度繰り返すが、人間を運ぶ「JR旅客鉄道」には鉄路の維持に関する哲学が無い。高速道路を利用した都市間バス並みの発想では誰も付いてこないぞ>島田社長 |