政情不安のアジアでの日本の役割

森友学園一辺倒のマスコミ
 常に言っていることだが、人間社会の虚実を書いて売り上げ(視聴率)ナンボのマスコミは報道機関の姿勢としては「ゲスの極み」である。
 そもそもジャーナリズムの基本は「報道しなければ誰も知りえなかった事象(エビデンス)を世間に伝える事」。だから、各人が横並びで同じネタを伝えてもそれはジャーナリズムでは無い。適語表現なら「瓦版」だろうか。つまり、週刊誌を決して悪く言うのではないが「伝えてナンボ」から「売れてナンボ」に立ち位置が変化しているマスコミの正体が顕在化してるのが現状だ。
 更に誤解を恐れずに言うが、北朝鮮が発表したノドンの移動発射台からの4発同時発射を見て「エライ大げさな花火だなぁ」としか感じない文系人間がマスコミの報道の方向をコントロールしてるのではと危惧する。相当な軍事技術を要していることをプロバガンダした映像公開なのだから。
 あれが、自分の頭の上に落ちて来るって考えたら、北朝鮮の宣戦布告に等しい。まして「在日米軍基地を狙う訓練」なんて北朝鮮が表明したのだから首都圏の横田基地や横須賀は自らに向けられたミサイルを思わなければならないし、そのように報道しなければならない。
 「座して死を待つのか、撃って出るのか」って二極論は控えるけれど、本日3/10は東京大空襲があった日だ。戦火が非戦闘員に及ぶって戦争を行ったのは当時のアメリカだが、日本人は「空襲で焼かれる戦争はいやだねぇ」と伝えてきた。
 正直言って、非戦闘員を巻き込む戦争を行ったアメリカは糾弾されるべきだし、それが「新しい戦争の姿」と戦勝国だから言えるのだろう。もっとも、実際に70年も前の時代ではあるが、戦争は「局地地上戦から戦略戦争」に変化していた。それを実践で証明(エビデンス)したのがアメリカの東京大空襲であり、広島原爆投下であり長崎原爆投下であったのは歴史の事実であり、その新しい戦争の方法によって大東亜戦争にアメリカ(連合国)は勝利した。
 もう70年も前の話だ。世界が紛争によって国境を変えられると考えた時代は当時でも「古すぎる」発想だった。それ故にアメリカは戦勝国であるにも関わらず次の戦争「冷戦」に舵を切り、日本との戦争の結果を自国の世界戦略展開に利用した。
 その片棒を担がされた日本には中曽根康弘氏を筆頭にアメリカの手先では無い日本国を形成しようとした動きがあったのだが、それを実行に移せない(憲法改正)で時間だけが過ぎていく。

世界の歴史観を学ぶべき
 武力行使は悪で経済制裁は善であるって外交は存在しない。現に日本は鉄鋼(鉄くず)と石油の禁輸の経済政策で軍隊、特に海軍を無力化されるなら「座して死を待つよりは撃って出る」って方向に舵を切った。
 経済制裁が効果を発揮するには相手の産業が輸入によって得ている物資を止めることだが、それが国全体の経済活動を破壊する場合、武力行使と同じある意味での「宣戦布告」である。
 日本国政府の外務省の北朝鮮に対する立ち位置は「日本は拉致被害者を抱えた特殊事情にある」って方針である。現実的に韓国の拉致された被害者に比べれは桁違いに少ないのだが、これを外交の弱さの言い訳に使っている。
 消極的な外交の言い訳でしか無いだろう。そもそも地勢的な状況から日本政府はリーダーシップを取らなくてはいけないのだが、アメリカや中国の顔色ばかりうかがっている。そこには日本の外交には「軍事力のカード」が無いだけでは無く、アイデアが無いことを露呈している。
 北朝鮮のミサイル4発同時発射に対して「日本は平和国家で北朝鮮からミサイルを撃ち込まれるいわれはない」って声明は当事者意識の欠如であると同時に、「憲法九条が守ってくれる」ってお花畑な左翼と同じ感覚だ。そこには無責任さすら感じる。国際社会の視点も同様だろう。日本には北朝鮮の国際ルールを傍若無人に違反する行為による被害者に一番近い当事者な意識が無いのか。
 「ならず者国家」は世界秩序を壊す存在なので、抹消(適語では無いかもしれないが、国家を政権と言い換えると良いかもしれない)しなくては世界秩序は安泰とならない。その意思表示を日本国政府もすべきだろう。

北朝鮮政権の崩壊を待つだけか
 武力行使で一国の政権を抹消するのは国際ルール違反になるが、先例としてロシアのウクライナ政策に学ぶことは多々ある。ロシアのクリミア半島の併合は民主主義のルールを巧みに使った国境線の書き換えだった。もっとも、バルチック艦隊の母港でもあるクリミア半島をEU経済圏にして、しかもNATO加盟地域にしようって対ロシア政策には無理があったことはここに書いてある
 北朝鮮状況は不安定で現在の政権を覆すには様々な方法がある。アメリカは「斬首作戦」を本気で考えているだろう。その武力行使を「日本はアメリカの行動を支持する」と事後に言うだけで国際社会の一員を担えるのだろうか。
 今の日本国政府の外交は「世の中、なるようにしかならない」って諦観に支配されている。それが「そのうち政権は崩壊するだろう」って読みだ。まるでヒョーロンカか!と突っ込みたくなるのだけれど、当事者意識と問題解決の責務は自国に「無い」と考えている日本国政府は国際社会での笑いものだろう。
 ロシアのような民主的方法で国境線を書き換える方法があるのだから、日本国政府は当事者責任を自覚して「民主的方法による国境線の書き換え」のアイデア出しだろう。
 実際に国民主権と民主主義の制度(人類の過渡的な律令制度)を北朝鮮に導入させる手法を日本国政府が主体的に責任を持って当事者として北朝鮮か周辺かで展開するアイデアとして提言すべきだろう。
 クリミア半島事件(と、私は呼ぶが)に学べばある意味で現在の民主主義制度の限界と、それでも現在の人類の選択では最善の政策制度なんだと学ぶことができる。
 ただ、残念なのは韓国に「核保有国になりたい」って変な流れがあることだ。大統領の罷免を決定した韓国に国家としての政策担当能力あるのかって疑問も生じている。韓国が北朝鮮配下の国家になるのかどうかの状況で、バランスがアンバランスになった時には最小の力で最大の効果が得られるのだか、今の日本国政府は国際的に当事者意識の無い国家と思われている。
 確かに北朝鮮政権はやがて崩壊するだろう。それは日本が戦国時代に織田信長から徳川家康に至った20年を振り返ると理解できる。
 で、現在の北朝鮮はどの時代レベルなのだろうか。
 私は「ヒットラー的な民主主義の一歩手前」と認識している。日本国政府は先例に学びアイデアを提供する立場なのだ!
 その責務をどのように果たすかが国際社会から問われている。

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2017/03/16
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