選挙は国家のビジョンを語る場
今回の衆議院選挙は国政の選択肢としての場になっていない。単なる週刊誌ネタの選挙であった(あえて、過去形で書くのは、実は本稿は選挙公示時点で書いていたのだが、あまりの稚拙な選挙にアップする気力を失っていた)
日本の統治制度は三権分立である。それ故に衆議院選挙で投票するのは立法府の代議員を選ぶ行為だ。前に代議員の「
政治家の3Sのバランス」で書いたが、選挙で選ばれるには立法の実績が問われる。にも拘わらず、今までの日本の立法府は野党による絶対反対の「防波堤政治」に終始していた。
与党と野党って区分け自体があいまいになっている現状だが、野党は立法府の代議士の集まりであるにも関わらず「与党への反対勢力」ってポジションになっている。
何時の時代からこうなったのかと考えると民主党政権が誕生し、それが覆って自民党政権に戻った時に、野党は反対勢力に陥ったのだ。つまり、立法府において政権を持たなければ何も実現しないって事を野党に陥落した民主党は学んだのだろう。故に、民主党は自らの国家観を実現するためには自民党に対峙する方法は「何でも反対」になってしまう。
民主党の国家感は「政府は国民を制圧する悪」って基本姿勢だから、そもそも民主主義の代議員制度に馴染まないのだが、立法府に反政府勢力を中心とした政党が名前を替えてでも生き残る世相には疑問を感じる。
国家をどうしたいのかってのが「政策」なのだが、その訴えは今回の選挙の焦点にならなかった。何故なら、地方議会の選挙と国政の選挙の違いが個々の政党に理解されてないバラエティ選挙だったからだ。
選ぶ対象が居ない選挙区制度
小選挙区制度は功罪が多く諸刃の刃なのだが、その中で選挙に強いと称される代議員が当選している。希望の党の選挙結果の検証は別に書くが、基本的に政策論争も無く、国家感も無い数の論理の衆議院選挙で、結果的に野党勢力は勢いを失った。
マスコミは「立憲民主党」を話題にするが、野党第一党の政党の議席が55って笑い話だろう。
枝野氏は3.11以来の福島第一原発の現状の記者会見で「ただちに健康に影響は無い」と繰り返したが、マスコミが騒ぐほど立憲民主党の55議席は「ただちに政治に影響は無い」って数字だ。
小選挙区制度は小沢一郎氏が政権政党交代が可能な選挙制度としてごり押ししたのだが、結果として民主党(当時)政権の誕生を見た。しかし、政権政党能力に欠けるので多くの失政を積み重ねて自民党政権に復帰した。ただし、選挙制度は当時のままである。
小選挙区制度の問題点は当選した代議士以外に投票した「死に票」が多くなる点だが、あえてバイナリー(二者択一)のような選挙制度は見直されるべきだろう。もっとも、その選挙制度で絶対多数を得た自民党が積極的に選挙制度を改革する発議をすることは無いだろう。
現在の選挙区制度では「国民の意思が反映されない」って論調をマスコミは取るが、ではマスコミの世論調査が民意かと言えば母数とサンプル数の官営から誤差は5%を超える。やはり直接投票所に行き投票した結果が「最低限の」民主主義による多数決だろう。
問題は選ぶ代議員が居ない選挙区の問題点だ。ネットが普及した時代に、居住する選挙区での立候補者にしか投票出来ない制度は見直すべきだろう。
国政の担い手である代議士の選出なのだから、全国区を採用すべきだろう。
実は「全国区」は参議院において過去に存在したのだが、代議士候補の「金がかかりずぎる」って政治とは関係ないファクターで廃止された。当時は全国にポスターを貼るなんてのは金のかかる行為だった。
しかし、投票者ファーストで考えれば、地域で立候補した対象にしか投票出来ないのは矛盾がある。選挙民(投票する住民)の意思を反映できる選挙になるためには全国区が望ましい。特定の人気議員に票が集まる弊害はあるが、そこは「比例区」で救済できるだろう。
選挙での投票した1票が国政に届かない制度は見直すべきだ!