当事者意識の無い公僕の醜態(北海道庁、札幌市)

まず、JR北海道旅客鉄道事案から
 北海道庁の指導力の無さを国に代わって(実際は国の指示だが)「JR北海道再生推進会議有志」から指摘された北海道庁は「鉄道ネットワーク・ワーキングチームフォローアップ会議」なるものを立ち上げて、結局はJR北海道旅客鉄道が「単独で維持困難」と示した路線を「国がどうかせぇ」と「地方がどうかせぇ」の路線に区分けして使命を達したとお茶を濁している。詳細は先に書いた鉄道ネットワーク・ワーキングチームはアリバイ作りを参照してもらいたい。
 座長に祭り上げられた岸邦宏氏が「鉄路を格付けするのは間違いだ」と個人的見解を述べているのだが、そこは「予定調和の北海道」、北海道新聞は1行で済ませている。ま、北海道の五悪の構成員としては当然の対応だろうが。
 そもそも、北海道庁の存在意義は高橋はるみ知事の時代に大きく変わっている。良い意味では「規模縮小による経費削減」であり悪い意味では「指導的立場の放棄」である。高橋はるみ知事は前者を目指すあまり後者をないがしろにして来た。それを「これ幸い」と職員は「知事が言ってるからぁ」と後者の立場を一生懸命加速して仕事から責任を放棄して安泰(安楽)な職責を構築している。
 その典型的な事案がJR北海道旅客鉄道の路線維持問題への消極的対応と結論の先延ばしを決め込んだ故の出遅れだろう。
 北海道庁のこの事案に対する対応は「ダチョウ倶楽部」の「誰がやるんだよぉ」ってのに「俺が、俺が」って回りの雰囲気を見て「では俺も」って言ったら「どうぞ、どうぞ」って言われることを避けて1年間も放置し続けたってのが実情だろう。
 で、結局、国と地方自治体に押し付ける結論を「作文」したのが、先の会議の結論である。
 情けないのは北海道庁内部に「口を出すと金も出せと言われるからなぁ」って意見が公然と囁かれていることである。その金は誰の金だぁ、えぇん!このバカタレがぁ。
 国民の税金であって北海道庁の懐の金では無いのが解らないのか。
 自分の財布みたいな発想が、北海道庁にあるのが今の北海道庁だっ。その真実に北海道民は、広くは国民は気が付くべきだ。
 これに関しても北海道新聞は、馬鹿な役人のたわごと的な記事しか書かない。ま、これも「予定調和」なんだろう。
 そもそも、北海道庁、北海道開発局(北海道開発庁は国土交通省に吸収されて廃止されたが)の2重行政に地方自治体って3重行政が行われている北海道の統治制度は矛盾だらけの非効率の無駄使いの象徴なのだ。

日本ハムのBP構想
 BPとは「ボール・パーク」の略称で、ボールは野球を指している。野球を中心に野球場では無くスポーツ(ま、プロスポーツなのだが)を中心に据えた地域開発である。ある意味でバブルの頃の企画と似ているが、実は、バブルの時代が残したものは今の北海道に何もない。洞爺湖のホテルウインザーに代表されるように、バブルの時代は土建主体の構想だったので利用(ユース)が度外視されていたのだ。
 実は札幌ドームも同じ轍を踏んでいる。とにかく建物を作れば需要は付いてくるって発想だ。たまたま、日本ハムが本拠地に選定したことで生き残っているが、箱物行政が風前の灯になっているのが今回の日本ハムのBP構想と札幌ドームからの移転である。なんせ、移転によって札幌ドームから年間27億円の売り上げが消えるのだが、何故か札幌市は「真駒内に作ってぇ」と媚びを売っている。民間企業では引き留め策が最優先なのだが、なんでか知らんがBP構想に熱心で、札幌ドームの経営問題は「他人事」である。もっとも、法人組織としては他人なんだが。
 札幌市が日本ハムに提案している真駒内公園は「道立公園」である。つまり、主体的管理権は北海道庁にある。札幌市があーだこうだ言っても、所詮、北海道庁の裁量下にある土地だ。札幌市の裁量権なんか及ばない。それを良い事に構想だけは一生懸命にして、いざ決まったら北海道庁に丸投げって姿勢がミエミエだ。
 当事者としての責任は自ら負わず他に転嫁する、それが、役人の基本姿勢なんだろう。つまり、責任は誰かに押し付けて手柄だけは自分のものって唾棄すべき姿勢が北海道庁にも札幌市にも蔓延しているのだ。それを指摘しない北海道新聞社も同罪だろう。
 昔に流行したマーフィーの法則って書物がある。その中に「危機に際して、一番に落ち着いて事態の収拾を図れる者は、誰に責任を押し付けたら良いか決めた者である」ってのがある。
 先の「口は出すが金は(他人の金、泥棒が得た金と同義)出さない」って根性が、更に昇華して「口は出すが責任は負わない」って役人の「作文」文化の典型なのが札幌市の日本ハムのBP構想への対応だろう。
 民間企業なら「27億円の減収」こそが最大のテーマなんだが、当事者意識の無い公僕はマスコミ映りの良いテーマでスポットライト浴びる(そんなの、公僕の仕事では無いのだが)のに忙しい。
 益々民間感覚を離れた公僕を指導するために選挙民が直接選挙で選んだ市長が役所の論理で動いているのだが、構造的な「予定調和」に踊らされるのは札幌市民の自己責任なんだろう。
 札幌市は歴代市長を組織内から生んだ経緯がある。ま、上田市長は別だが、彼は改革にまい進するには玉が小さかった。市役所支配の行政制度を打破する必要がある。それが、「統治機構の改革」と思うのだ。

札幌冬季オリンピック構想は馬鹿の発想
 1972年の札幌冬季オリンピックは成功したと言えるだろう。こんな積雪が多い地域で初めて開催された冬季オリンピックだったが交通網の整備が整った。今の真駒内から西区へ抜ける小林峠は真駒内会場から手稲山のコースへ移動するのに当時の国道5号線は1車線が多くて移動に時間がかかるので開発された路線だ。当時は西野二股を経由して国道5号線に合流したのだが、今では高速道路の先で国道5号線へ合流するまで路線が伸びている。地下鉄ってインフラも当時のオリンピックの賜物だ。最初に開通した南北線は中央区から真駒内会場を結ぶ路線だった。走っていた緑色の車体はどう見ても「モスラの幼虫」ソックリだったのはご愛敬だ。
 その時代の冬季オリンピックから時代は変化している。例えば「スノーボード競技」は当時は無かった。そもそもスノーボードって器具が無かった時代だった。
 ハーフパイプも当時は無かった。
 冬季オリンピックは規模がメチャクチャ拡大していて、1972年の札幌冬季オリンピックと比較する対象ですら無い。今の道都かどうか知らんけど札幌市が賄える規模では無い。当時(1972年)とは違う大きな規模になっている。それを知ってんかぁ!
 税金の使い道は納税者である国民が決める専権事項だ。にも拘わらず国会で議論されてるのは税の用途では無くてスキャンダルだ。このことに関しては前に政治家の素養ってことで書いているのだが、政治(立法府)以前に行政府もおかしくねぇかぁ!
 スケートは帯広市で、滑降はニセコ町でって責任放棄の当事者意識の無い札幌市が冬季オリンピック開催の権利を得るためには金をバラまく戦術しか残されてないだろう。
 が、役所の論理で育った市長には民間感覚が欠如しているので、それも「当然」て感覚しか無い。市長になったのはオリンピックの誘致の手柄が欲しいのかぁ!(このバカタレがぁ)
 そもそも国民から政治を預託されていない無責任な団体の支持で選ばれたって結果を受け止めて、支持母体の欠陥を真摯に受け留めるべきだろう。
 すでに現在の統治制度は制度疲労している。何処が問題かと言うと「数の論理」を打破する制度構築に誰も関心を持たなかった。実は民主主義は数の論理では無い、合意の構築にある。聖徳大使の「和を持って尊うとしとする」て言葉は、合議の大切さ語ったもので決して「争ってはいけない」なんて言ってない。
 北海道庁よぉ、当事者の覚悟の無い無責任はやめろ!
 札幌市よぉ、当事者の覚悟の無い無責任はやめろ!
 統治制度の金属疲労を再構築するには、役所も「事業部制度」「複式簿記」と、民間への変革を、とりあえず追従してみるべきだろう。「役所の論理」が通用しない時代の変化を真摯に受け止め改革するか、あくまで「役所の論理」で行くのか、後者の先にはハルマゲソンしか無いのだ。

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2018/02/27
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