個別対応の悪癖
危機管理の基本なのだが「下に任せる」ってのは戦術として第一段階の選択肢なのだが、方針としては「全体に及んだ場合は」ってのを想定しておく必要がある。
何回も書いているのだが、物事の展開は下記の方法で行われると分析すべきだろう。
1)方針(何を目指すかの明確化)
2)戦略(その為に、今手元には何が有る、何が無い)
3)戦術(戦略を踏まえての活動計画)
危機管理に限らないが、今、どのフェーズで意見を言っているのかを明確に把握しないで議論をすると無駄な議論になる。ま、このあたりは「
会議5悪」ってので書いたので参考にしてもらえると良いかなと思う。
旧日本軍では「逐次投入」って戦い方をしたが、これは大本営が「方針」は理解しているが「戦略」を理解していない事の証左だろう。石油が無いって戦略は解っていたのだろうが兵器が足りないって問題を戦術問題にしてしまう間違いを犯したのだ。
日大の対応を辿ってみると、アメフト部の競技で起きた問題が大きくなるなぁって感覚が不足していた。教育機関だから「自分がトップ」って社会の悪弊が前面に出てしまった。実はこれは1968年の日大紛争でも指摘された基本的問題点なのだが。
今でも1970年代の学生運動の発火点は日大だと思っている歴史観を持っている。当時、全国に飛び火した学生運動は60年安保の反省(ある意味、戦略の見直し)から始まったのだが、代々木系(共産党)が「学徒出陣」みたいな事を扇動したのが分裂を生んで混沌となって今の革マルと中核に終焉する結果となったが、基本は現場で「戦略」を語る事を愚として共産党が認めなかった事に起因する。今もそうだろうが、共産党ってのは兵士に絶対服従を求める組織で、戦略や戦術は現場で語る事柄では無いって行動基準を持っていて、これを学生運動に「指導」したことが混沌として70年代の学生運動を扇動した。
その歴史観が無い日大は(理事長は相撲バカと言われているが)、1968年の日大紛争を体育会系の学生で鎮圧した経験を踏まえて、力で鎮圧出来る成功体験が根強く文化を形成していたのだろう。
70年代安保闘争でも地方の大学ですら体育会系が運営者側に組する事例は多かった。ま、私の居た北見工業大学では逆だったけど。
危機管理の基本は芽が育ち始めた時にどう組織として対応するかの決断が、先のどのレベルで考えられるかなのだが、日大は3)の戦術、逐次投入で対処できると判断したのだろう。
マスコミの扱いを肌で感じて「逐次投入」(上記の項目8)は焼け石に水なんだが、そのシナリオが戦術には程遠く、上から目線の戦略を語っている司会者ってことで明確になっているだろう。
問題が発生するとツッコミどころは満載で、それに対処するには、ひたすら受け手に徹するってことなのだが、共同通信を定年退職した司会者には「昔取った杵柄」なのか本来踏み込んではいけない「仕切り」を発揮して、これまた炎上を招いた訳だ。
余談だが、関西学園のディレクターは元朝日新聞の社員で、投げっぱなしの共同通信とは社風(ま、肯定しないが)の違いが見て取れる現象だった。
組織は指揮命令系統の構造
組織を運営するには組織の構成員とは違った苦労がある。ま、SNSで散見される従業員の意見も解らないで無いが、基本的にサラリーマンが大多数になった今の日本社会では組織の維持運営が喫緊の課題である。マクルーハンの「マネージメント」が広く読まれているのがその証左と思うが、日本には日本の文化と組織運営があるのだが、文化論を度外視して「マネージメント」を教本にしている管理職は会社の害毒だろう。
日大紛争(日大闘争)が何故全国に飛び火したかって事象を誰も分析していないのが昔からの代々木系の伝統だろう。失敗を積み重ねることが成長の要だって考えるのは間違っている。それが、1968年の日大闘争から学んでいない。
社会は変化している。今では情報はマスコミのよって伝達されるものでは無くてネットで伝達される。しかも、一方的に広報されるのでは無くて、興味を持った人々(ま、昔の野次馬なんだが(苦笑))によって拡散される。
組織運営は旧来のピラミッド構造では成り立たなくて、個々の構成員の総力になっている。それを支えるのが広い意味での情報だ。部下に録音されるような組織にはもっと別な問題がある。それは戦略をノルマに読み違えた管理職の無能だろう。
日大アメフト部も同じジレンマに陥っている。
スポーツの精神を大学の営業活動にはき違えて、スポーツ本来の「方針」をゲスな「戦術」におとしめたのだから。
私大だから営業的な対応もあったのだろうけど、基本、スポーツは営業ネタでは無い。そもそもスポーツを理解してる「方針」が日大に問われているのだが、うやむやな経営が学びの府たる日大50年の反省から見直すべきだろう。