旅と旅行の違いは(3)

旅の話(7) 自由への長い旅をひとり
 今どきの表現で言うとアウトロー(それも古いって)なのかなぁワシ。
当時北見市の山下通(ま、北見市のススキノです)で水城(みずき)ってスナックがあって、ここを紹介してくれたのが先に書いた写真部の初代部長。
就職試験に行くけど学生服が欲しいけど持ってる奴居るかぁって相談を受けて友達が寮に運んだ学生服を貸してあげた。
見事採用されて(ま、トヨタだったけど、人生のスパンを考えると良いのか悪いのか)お礼にその「水城」で飲もうってことで私と学生服を貸した2名が招待を受けて3名で飲んだ。
マスターが居たので私はギムレットを何杯か頼んだ記憶がある(なまいきでしたね)。
そこで出た話で私が学生運動家から狙われているって話。
なんもしてない一匹オオカミを狙う意味が解らん。って話していたのだけれど、現実は生臭いのですね。
そもそも大学をバリストするって2年も遅れた行為で、全国の状況は浅間山荘事件でジエンドな時期の直前だったんだなぁ。
私が示したのは社会に学べ(ま、国労組合員との関係を意識してたんだけど)そのために多くの人の情報を得ろて主張なんだけど、当時の中核は「ナンセンスー!」って罵倒してきた。
ま、中核の暴力は当時から経験してたのだけれど自分が目標になっているてのは先輩からの情報で初めて知った。
先輩から「俺が卒業すると空くから、ここのアパートに来い」と言われた。当時の北見工大の寮は革マル的で中核からは攻撃対象になっていたんです。
にも拘わらず言いたい放題してた私は中核の攻撃対象のリストに掲載されてる(都市伝説)そうです。
寮を出て写真部の初代部長のアパートに入れたはラッキーでした。当時の北見市では大学生は学生運動で暴れるからってことで結構、下宿やアパート探すの大変だったんです。
で、大学とは反対側の西町(今では大都会ですが)のアパートに住むことになったのですが中核は来なくなったのですが、大家さんは「北見工大生」ってことで意識していたようです。
その頃の北見工業大学のキャンパスの様子はここhttp://speech.comet.mepage.jp/2018/mint_924.htm

旅の話(8) 自由への長い旅をひとり
 寮を出てアパート住まいになった私ですが、生活が一変しました。なんせ食い物を買いに行かなければならないんですね。寮に居た時は三度三度飯が出てましたから、特に夕食はPM10:00を過ぎると余ったおかずは自由に使えて、洗濯機で熱燗した一升瓶を片手にちくわの油揚げ食い放題なんて生活でしたから。
先にリンクしたURLで状況は解ってもらえると思うんですが、ここでも旅の出会いがありました。
やはり女性でした。
「わたくし」女の彼女と音信不通になって、女っけ無くなったのですが、失恋と言うのには程遠い自分の未熟さに心が折れていたのです。
早く大学を卒業して社会人になりたいと思っていたのですが、目の前には学生運動の嵐が吹き荒れてました。
やっと、アパートに引っ越して学生運動の嵐からは逃れたと思っていたのですが、町を歩いていた時に若い女性に声をかけられました。
「私の事、覚えてる」って話しかけられて、正直記憶に無いので「はぃぃ?」って言ったら「やっぱり覚えてないのね、水城(先に書いたスナック)で話したじゃない」と言われてそうかなぁって記憶しかない。
当時、廉価なこともあり水城ってスナックは北見工大の学生が通っていたのだけれど、風営法が変更になって12:00になるとカレーライスが出たのでおしゃれ感が無くなって遠ざかっていた。
「ちょっと話さない」と彼女に言われて、ま、暇なんで近くの喫茶店(シルクロードだったかなぁ、覚えていないけど)で話した。
「困った時には私のアパートに来ても良いのよ」と言われて、実際にアパートに連れて行ってもらった。「相カギあげといくね」ってカギまで渡された。
鼻の下を伸ばしてる場合じゃないんだよね、これが中核派の仕掛けだったのは数日して解った。
「お前、狙われてるぞ」って流れで寮を出てアパート暮らしを始めたのに、追跡の手は伸びていたのだろうなぁ。「色仕掛け」ってのを経験した貴重な体験。これも人生の旅だろうなぁ。
女性に不信感を持つってのも人生最初の貴重な体験でした。
で、次回は学生時代の旅の最終編です。実は大人の世界を体験して北見での人生の旅が終わったのです。 続く。


旅の話(9) 自分探しの旅
 アパート暮らしを始めると寮での生活と違い友人と雑談したりマージャンしたりの時間が無くなった。
当時はプロ野球の大洋ホェールズのフアンだったのでラジオを聞きながら夕食を自炊するくらいしか時間の潰しようがなかった。
週3回の家庭教師が無い日は時間を持て余していた。
そんな時に大学の図書館で各種の「文学全集」のコーナーを発見した。なんで、工業大学にこんな蔵書が沢山集められてるんだぁ(笑い)。
今もそうだが、大学の特に国立大学の図書館って設置が義務付けられているから存在してるのだろう。電気工学は割と古くから確立されていたので図書館の書籍で学ぶことも可能だったが一般教養の物理などでは「ニュートリノは存在するか」なんて議論に対応するには町の書店でカッパブックスを購入しないと知識が得られないほどニュートン力学系しか無かった。
なんとなく手にしたのが「野坂昭如全集」。
焼け跡闇市派と言われるだけに当時の世相が解り楽しむことができた。特に大衆娯楽の時代に三木鶏郎氏門下で「おもちゃのチャチャチャ」を作詞したエピソードが面白かった。
で、全作品を通して野坂昭如氏が「作家は時代の観察者で無ければならない」って対談で語っていた一言。
「エロ事師たち」も「火垂るの墓」も突き詰めていくと野坂文学の基本はこの一言にある。
自分も何か書き残せないかと小説を書いてみることにした。
5編ほど書いたけど全て当時のジャンルで言う「私小説」だった。そのうち2編は下記に公開している。
http://www2b.biglobe.ne.jp/~mint/novel/novel001.htm
http://www2b.biglobe.ne.jp/~mint/novel/novel002.htm
私小説を書いて見て、ああ、これが自分探しの旅なんだろうなぁと思った。
特にこの年齢(22歳)になると過去が今の自分の下地なんだろうと気が付く。
まったくの白紙に向かって「自分探しの旅」をする今の若者は振り返る過去に何も無かったのだろうか。
当時、先輩から譲り受けたモノクロの真空管テレビを調整してテレビを見ることが出来るようになったのだけれど、加山雄三の「高校教師」は必ず見ていた。夏木マリが唄う主題歌の「裸の青春」中に「たった一度の青春を何もしなかった嘆くより、ああ、過ち嘆く方がまし!」ってのに引かれたのけれどラスト(と、そのひとつ前)は「なんじゃこれぇ」ってドラマの展開で度肝を抜かれた(ネタバレだが「そして誰も居なくなった」だ)。
後年、当時の加山雄三氏は膨大な借金を抱えて「いざとなれば自殺だな」って覚悟してたのを知り、鬼気迫る感じがそこから来てたのを知った。
ちなみにこの現代版が田村正和の「さよならオズ先生」である。
自分探しの旅に加えて、あと二つの旅を経験して、大学を卒業して北見市を離れて社会人になった。
たぶん、続く

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2019/10/28
Mint