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選挙はビジョンを語る場
何時のころからか、選挙での演説が過去の実績を語る場になっている。本来、選挙で選ばれる代議員は未達の政策を実現するために努力するものなんだが、それを「公約」とか「マニフェスト」とか言い換えても、所詮一人の国会議員が実現できる政策(立法)には限度がある。
にも拘わらず「公約」で当選してきた時代は既に遠い昔になってしまった。ま「公約」事態が現実的でないって事はあるだろうが「公約」無き立候補はまったく意義を見出せない。しいていえば政党の構成員として立法府に送って(当選)くれって訴えだ。 日本の民主主義(それが、完成されたものとは思わないが)は代議員制度である。つまり、国民は選挙によって立法府の代議員を選ぶことになる。小選挙区制度になったので国会に送り込む代議員は選挙区ごとに一人である。 この制度により「民主党政権」なんてのが実現したのだけれど、基本的に「死に票」が多くなる選挙制度であることは事実だ。 選挙区地域で1人しか代議員を送り込めないって制度の是非は語らないが、政党の後押しが重要になったって現状には疑問を感じる。 政党から立候補(公認)しなければ当選に辿りつかない今の制度は何処か政治の本質と違うと思う。多数決である決定の仕組みを選挙制度に持ち込んだ政党政治は民主主義の政治制度に準じているのだろうか。 衆議院議員に関しては選挙区、つまり地域の代表として日本国の国民が憲法に書かれているように平等に扱われるために、つまり、地域の偏りがないように国家を運営することを担保するものだろう。 政党がイデオロギーを主眼に国家のかじ取りをするから地域格差が生まれている。東京一極集中はまさに地域が中央の政党支持者を選ぶ選挙から派生しているのだろう。その意味で地域政党ブームは今後の主流になるにはまだまだ時間が必要かもしれないが。 |
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